安原顯編『私の好きなクラシック・レコード・ベスト3』

晴。
寝坊。

モーツァルトの弦楽五重奏曲第三番 K.515 で、演奏はエマーソンSQ+キム・カシュカシャン。当代一流の演奏であり、聴き始めてすぐに自分のレヴェルを超えていることが判明。聴いてお勉強でした。なので、演奏のよし悪しは判断できないのだが、CD化レヴェルであることは一目瞭然である。それにしても終楽章はチャーミングですね。エマーソンSQ は現代を代表するカルテットのひとつで、何を演っても一定以上の高いクオリティにもってくる実力者たちである。個人的にはブラームスメンデルスゾーンの全集が記憶に残っている。


ショパンのピアノ・ソナタ第二番 op.35 で、ピアノはブルーノ・レオナルド・ゲルバー。古典的に退屈な演奏。退屈というのはよくない言い方かも知れなくて、迫力はあるし、きわめて音楽的に弾かれた演奏であるが、自分の心はこれでかき乱されることはない。平静なものである。退屈という他ないのであるが、一方でこの「退屈さ」は果たしていけないものなのであろうか、と思う。古典というのはかくもすべて退屈なものなのではないか。聴いていてちょっと「古今和歌集的退屈さ」というような言葉が思い浮かんだが、これはあまり適切な比喩ではないかも知れない。少なくとも、この曲が傑作であるという、そのことがはっきりわかる演奏ではあるまいか。退屈なのに、もう少しゲルバーが聴きたくなってくる。

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌを、ブゾーニがピアノのために編曲したもので、ピアノはブルーノ・レオナルド・ゲルバーである。これは見事な演奏で、文句のつけようがない。この有名な編曲ではどうしても無伴奏ヴァイオリンのための原曲が背後に意識されるのがふつうであるが、このゲルバーの演奏を聴いていると初めからピアノのために書かれたブゾーニの曲という感じがする。あまりバッハの曲という感じがしない。それにしても再度見事という他ない音の大構築物である。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番 op.37 で、ピアノは内田光子、指揮は小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラ。ふだんはこういう演奏は聴かないのであるが、ゲルバーを聴いて初心に戻ってみたくなったので聴いてみた。ふだんは聴かないというのは、こういう組み合わせならいい演奏に決っているからである。しかし、小澤と内田とサイトウ・キネン・オーケストラというのは、何とも明治より0からクラシック音楽を吸収し続けてきた日本人音楽家たちの総決算というところであるが、いまやこれが世界のトップレヴェルであることに世界の誰も特に驚かないであろう。よくもまあ、ここまできたものかなと変なことに感動したりしてしまった。まったく正攻法の、マジメで深いベートーヴェンなのである。いや、ホントにふだんはこういうのは聴かないのですけれどね。

安原顯編『私の好きなクラシック・レコード・ベスト3』読了。yomunel さんの日記で教えられた本で、リテレール・ブックスとはなつかしくてたまらない。かつてなら岐阜の田舎にいてこのような古い本を探すのは至難であったろうが、いまは簡単にネットで探し出すことができる時代になった。古書価も全然大したことはありませんでした。「リテレール」誌は僕が学生の頃に短期間存在した特異な書評誌で、いまは亡き編集者・安原顯が編集していたものだった。当時はお金がなかったので「リテレール」を、その頃リニューアルされて気に入っていた近所の恵文社一乗寺店にいりびたって立ち読みしていたのもなつかしい。いまでは恵文社一乗寺店は全国的に有名な書店になりましたね。本書は安原が得意にしていたベストものである。89人もの人が書いているということで、「自分はクラシック音楽はよく知りません」系、カッコつけ系、「三枚では困る」系などなど、色いろあっておもしろかった。まあ皆んな多かれ少なかれカッコつけなんで、やっぱりなあと思いました。三枚の選択が自分にぴったり納得できたのはほとんどなくて、やはり好みなどというのは千差万別が当然というのを再確認したが、いちばん「おお」と思ったのは編者の安原顯のものだった。これはよくわかる。それから、出久根達郎さんのは短編小説みたいなあざやかなもので、文章は記憶に残らざるを得なかった。那珂太郎氏の歴史的かなづかい(本書で唯一)の文章と、一見凡庸な選択も印象深かった。しかし自分で選んでみよと言われれば難渋必至で、「三枚では困る」系にならざるを得ない。まあ無理ですね。

ちょっと書いておきたいのはクラシック音楽を聴き始めた頃の自分の「ポリシー」みたいなもので、それは CD を買う際、演奏者か曲のどちらか、まだ買って持っていないそれの CD を選んで買うべしという規則(?)である。どうしてこんなことを考えていたものか、しかしそれは10年くらい原則にしてまずまず守っていたものだった。それからもうひとつ、室内楽の CD を多めに買うということも決めていて、それも忠実に(?)守ってきた。本当に、変なことを考えていたものだと思うが、結局それは現在の自分の聴き方にもつながっていることだろう。それはよかったのか、どうか。





早寝。