未明起床。晴。
精神の対称性の高い状態でずっといると、何の不満もないからりとした心に自足してしまう。それでよし、最高の精神状態という考えもあるだろうが、わたしは時には敢てバランスを崩し、非対称性の戦場へ入っていくこともあるべきだ、という派(?)である。
 で、そういうふうに対称性を崩していくと、心の深いところから、なにか、怒りというか、苛立ちのようなものがどうしようもなく湧き上がってくるのを感じる。それが、現代なのだと思っている。
 
大垣。
ミスタードーナツ大垣ショップ。ミートソースのラザニア風パイ+ブレンドコーヒー468円。外気13℃の朝で寒いくらいだから、温かいパイとコーヒーがありがたい。
 モーリー・ロバートソン『日本、ヤバい。』(2024)を読み始める。著者のことはまったく知らなかったが、マルチな才能をもった人として、結構有名なんだな。1963年生まれ、現在62歳で、本書には就職氷河期世代とあったと思ったが、全然ちがうじゃん笑、バブル世代のわたしより年長だな。1981年、東大理一と同時に、ハーバード大学マサチューセッツ工科大学スタンフォード大学、イェール大学、カリフォルニア大学バークレー校、プリンストン大学に合格し、東大に進学するもすぐに中退、ハーバード大学で厳しいエリート教育を受け、最終的に現代アート作品で卒業した秀才である。
 本書を半分くらい読んだ、著者は資本主義の尖端でサバイブする才人であり、田舎の引きこもり(?)モブであるわたしとは何もかもちがうが、本書はわたしにもなかなかおもしろい。そうだな、強烈な虚栄心をもつ以外に、アメリカで「リサーチと徹底した討論」という教育を身につけた欧米的エリートらしく、「公共性」の概念が身についていて、そこが日本のエリートとちがうところである。
 公共性というのは、わたしも苦手なところだな。わたしなどは、「社会」という言葉は使っても、そのデノテーションがよくわからない。ほんと、社会って、なんだろう、なにを指す言葉だろうって、「社会」というものに、その中で、触れたことがないのだな。まさに、幼稚な人間である。
 また、著者は「お金と暴力」によって動かされている現代資本主義社会を、基本的に肯定しているように見える。それもまた、欧米の合理的精神であるといえるだろう。欧米の造り上げた精神世界は(お金と暴力の支配する)グローバル資本主義において国家と個人がサバイブしていくことに合理的に最適化されており、日本はその「最適化」において、遅れている。著者の基本的スタンスは、そこであるように思える。
 どうでもいいが、わたしはそのような現代世界を根本的なところで肯定しない。しかし、資本主義のオルタナティブは存在せず、お金と暴力の支配する「欲望とエゴの合理的世界」を、どうしようもない、そういう地点にいるが。
 さて、本書を読んでつらつら考えていたのは、本書とはあまり関係なさそうな、DEI と資本主義の関係についてである。DEI(Diversity, Equity, Inclusion)の世界は、資本主義を肯定するのか、否定するのか。どうも、DEI は、資本主義においてサバイブするための思想である、そんな気もするのだが。フェミニズムも、同じだと思う、フェミニズムも、資本主義、「お金や資本の支配」を肯定するように思える。
 
ひとりで長時間車を運転しているというのは、瞑想に近いなってしばしば思う。
 

AI によればシロヤマブキ(Rhodotypos scandens)の実だそうである、一昨日撮ったもの。
 
昼。曇ってきたかな。
図書館から借りてきた、モーリー・ロバートソン『日本、ヤバい。』あとは速読して読了。副題「『いいね』と『コスパ』を捨てる新しい生き方のススメ」。
 どうでもいいが、著者は国家の国際競争力のため、これから女性の「STEM教育」が非常に重要だとおっしゃっているけれど、紋切り型の批判で申し訳ないが、国を富ませるために「リケジョ」(理系女子)が必要だって、まあ事実なんだろうが、女性は国家のための道具なのって、ちょっといいたくなっちゃうな。ま、イジワルな言い方ですね、わりい。