三岸節子記念美術館にて岡田三郎助展、あと尾西の起宿など

老両親と三人で(愛知県)一宮市尾西(びさい)へいってきました。
 
いい天気。自宅を九時に出て、笠松中心部を経由して木曽川堤防道路を南下し、濃尾大橋を愛知県側へ渡ります。すぐに一宮市三岸節子記念美術館に到着、わたしはここへはよく来ますね。家から40分くらい。

特別展「岡田三郎助 優美な色彩・気品ある女性像」を観ます。一般1000円。
 岡田三郎助(1869-1939)はわたしは(恥ずかしながら)知らなかったのですが、明治の洋画開拓者のひとりですね。黒田清輝とほぼ同世代で、20代後半にフランスへ留学、ラファエル・コランに師事します。コランからでしょう、日本人洋画家としては、画面が明るく、女性画を得意とし、とにかくわかりやすい、きれいな絵ですね。わたしのような凡庸な鑑賞者には、好ましく思えます。ほとんどの作品が撮影可だったので、以下適当にどうぞ。


有名な「あやめの衣」(1927)です。

若き三岸節子像。三岸はこの岡田三郎助に師事したのでした。現代的な抽象画に接近していく三岸とは、全然作風がちがうところがおもしろい。



独創性のかけらもない平凡なバラの絵ですが、非常に美しい。わたしはこういうの、好きなんです。
 常設展の三岸節子も観てきましたが、古典的な美しい岡田の絵画を観たあとだと、三岸の現代性が浮き彫りになります。どこか、イライラさせられるような、感覚の混乱が現代的ですね。息子の三岸黄太郎(1930-2009)の作品は初めて観ました。主にフランスに住んで絵を描いたようです。
 
美術館のすぐ近くに「美濃路×木曽川ミュージアム」(一宮市尾西歴史民俗資料館)というのがあるのを老母が見つけていたので、初めていってみました。
 皆さん、「美濃路」って知っていますか? わたしはマジ恥ずかしいんですが、知りませんでした。江戸時代、東海道(愛知県・熱田)と中山道岐阜県・垂井)を結ぶ街道で、短いながらじつは非常に重要な街道でした。
 ここには美濃路の「起(おこし)宿」があって、「起(おこし)の渡し」で木曽川を渡っていました。朝鮮通信使や数々の参勤交代の大名行列がとおり、ときには「船橋」(船を使った橋)が架けられたというのです。

ミュージアム(入場無料)でいろいろ勉強させてもらいました。自分の住む地方のことながら、まったく何も知らず、とてもおもしろかったです。

ミュージアムの前の道が旧美濃路であり、現在でも古い建物が散見されます。これは起宿の「脇本陣」で、濃尾地震で倒壊したのを、大正時代に再建したもの。これが、立派なんです。
 以下、立派なお庭。建物共々、自由に見学できます。





以下、建物の中。



紅い土壁が立派です。

下に水琴窟があります。

 
少し、起宿近辺を歩いてみました。高札場が復元されていたり。

渡しがあったくらいですから、木曽川がすぐ近くです。

川原のごそごそに、イタチがいたり(笑)。たくさんのチョウが飛ぶなど、しばしのんびりしました。
 町内の田舎のお寿司屋さん(「三香久」)にて、平日ランチ1650円(税込)をいただきました。天ぷらやデザートの栗菓子がおいしく、充分満足いたしました。洗練はないですが、安くてお得だなって、思いましたですよ。
 帰りは西尾張中央道をずっと北へ、この道はひさしぶりです。いつもの肉屋へ寄ったりしながら、昼一時過ぎに帰宅。なーんか、近場でとっても幸せな時間を過ごした感じでした。
 


 
夜。
『永久のユウグレ』第6話を観る。うーん、おもしろい、しかし、何てヘンな作品だ。浴衣姿の戦闘アンドロイドのもじもじデート回? ユウグレは半永久的動力で動いてるのに、食べることが好きでお腹が減るとぐーって鳴るとか、なんだよ笑。で、200年前の AI イチキシマがユウグレの「精神」だってのは、ほぼ確定だな。トワサは、人工知能が恋をするように、造っていたんだ。
 「センダイ(仙台)」も、「西暦」時代の文明は廃墟になっているのだな。これも AI 戦争によるわけか。
 P.A.WORKS の作画は細かいところにまで気を遣ってあって、なんでもないところも、じつにクオリティが高い。道端の花にハッとさせられるとか、わたしは本当に好きだ。次回は戦闘があるのか、予告だと、そんな感じだ。