宮本常一『日本人のくらしと文化』

晴。35℃くらいだと涼しく感じる。
早朝出勤ではないが、今日からしばらく早出。

宮本常一『日本人のくらしと文化』読了。副題「炉辺夜話」。中身の多くは一九八〇年前後の初出だが、既に自分などにはわからない話が多い。その頃自分は中学生くらいだったのだが。まあ、それ以前の見聞をまとめたものだろう。当時の田舎の話が多くて、昔は田舎でも恥ずかしくない、高い文化があった(本当ですよ。どういうことかは本書を読もう)のに、今は東京の方ばかり向いて却ってダメだと怒っておられるような雰囲気だ。村の農業や漁業の具体的な話でも、何のヴィジョンも持たず国の補助金を欲しがってばかりな現実に、これも怒っておられる。国も現場のことがわからず、書類を揃えることばかり気にしている。って、いつの話ですか。今でもまったく同じだ。日本の田舎はただの過疎地に成り下がり、民というものも殆ど滅びた。でも、自分も田舎に住んでいる田舎者だが、どうしたらいいのだろうな。ちゃんと考えないと、宮本常一に叱られるよ。自分の住んでいるところに誇りはあるか。いや、ないな。文化はあるか。これもない。うーむ。まあ、自分の住んでいるあたりは過疎地ではなく、どちらかと言えば発展し始めているところなので、ロードサイドとか、活気がないわけではないのだが。イオンモールとか?
 本書は宮本常一の著作であるから、民俗学の本かと思われるかも知れないが、そうではないと思う。著者は、日本の現在(ということは、当時のことだが)を相当に憂いていて、本書はその危機感が現れているのであり、そしてその危惧は殆どが現実化したのではないか。しかし、もともと著者は、憂国なんてする人だろうか。自分もあんまり憂国なんてしたくはない。憂国は「正義」だから、真面目にやると多くは硬直するのである。唐突だが、内田樹さんなんかも、最近はマジメに憂国しすぎているのではないか。あんまりやると、エラそうな大手新聞の欺瞞と同じことになると思う。むずかしいなあ。


田中秀臣先生は、「貧困大国アメリカ」のシリーズを高く評価していないようだな。善悪の付け方が定型的すぎるとの判断らしい。田中先生は、経済に関しては今でも信用している部分はあるのだが、これもイメージでだからね。ああ、頭が悪いのに、素人なりに経済学をもっと勉強せねばならぬか。しかし、それで正しい判断ができるようになるとも限らないが。まあ、やらないよりマシだろうけれど。とにかく、「貧困大国アメリカ」の話は、最近あちこちで傍証を発見するのだよなあ。まったく信憑性がないとは、どうも思えなくなってきている。これも「陰謀」「デッチ上げ」だと云われれば、そうですかと云うしかないのだけれど。