石井良助『天皇』/中沢新一『熊から王へ』

晴。
今日から普通人並みに早起き。雑誌の新聞広告によると、佐藤優さんは月三百冊読むのだそうな。忙しいのにスゲエなあ… 故・米原万里さんは一日七冊という話だったから、ひと月三十日として、単純計算で月二百十冊。うーむ… 最近は多読をむしろ否定する傾向にあるが、ある程度の量を読まないと、話にならないということは確かにあると思う。これは、たくさんの情報をインプットするということとは違う。天才は別だが、凡人は感性をつくるのでも、量を質に転化させるしかない。

石井良助『天皇』読了。古代から現代に至るまで、若干の例外(律令時代と明治時代)はあるにせよ、天皇の権力形態は「不親政」であったと主張する書である。その柔軟性により、天皇制は連綿と長い間続いてきたのだ、と。古代において既に、天皇の統治が「しろしめす」「きこしめす」と呼ばれたが、これは「知ろしめす」「聞こしめす」であり、民の声を「知り」「聞く」ということで、その消極性がよくあらわれていると説かれる。武士政権においては、まさしく「不親政」そのものであったろう。現行憲法下では云うまでもないことである。
 正直言って、自分には本書の主張を判断する能力はないが、おおむね今では常識的な議論になっているのではないか。本書の源流は、著者自身による戦後間もない頃の著書にあるということで、それは、戦時期の「天皇神格化」を否定する意図をもって書かれたのではないかと憶測される。細部よりは、グランド・デザインを重視した歴史書と云えるだろうか。

天皇 天皇の生成および不親政の伝統 (講談社学術文庫)

天皇 天皇の生成および不親政の伝統 (講談社学術文庫)

中沢新一『熊から王へ』再読。カイエ・ソバージュのシリーズを再読していこうという試み。本当は再読というか、もう何読かわからない巻もある。読むたびに新たな発見があるのだ。悪名高き「想像力」が、活性化されるのを感じる。流行りの経済学も社会学もいいのだが、それらはやはり対処療法に過ぎないとも云える。馬鹿にされても、中沢新一を読んでいこうと思う。
熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)


シノーポリの指揮する、マーラー交響曲第一番を聴く。シノーポリマーラーは、その表現主義的なところを強調した演奏だな。おそろしくダイナミックなので、稀にオーケストラが付いてこれなくなっているところすらあるくらい。弱音から強音までの幅(ダイナミック・レンジ)がじつに広い。テンポは妥当。