安藤礼二『たそがれの国』/幸田露伴『天うつ浪 後篇』

曇。
安藤礼二『たそがれの国』読了。

たそがれの国

たそがれの国

幸田露伴『天うつ浪 後篇』読了。未完。日露戦争が始まって露伴は、こうした閑文字をつらねていくのが、居たたまれないような気になったらしい。それはそうと、いかに我々が、こういう雰囲気の世界から遠くなってしまったことか。
天うつ浪 (後篇) (岩波文庫)

天うつ浪 (後篇) (岩波文庫)


中沢新一「心のトポロジーとしての建築学」より。これは手厳しい。

近代というのは、過去の伝統とのつながりを断ち切ろうとする運動であった。いま自分たちのつくっている世界は、過去の遺産とのつながりの上に成りたっているという事実を否定して、合理的な原理だけで人間の世界をつくりあげて見せようとしてきた。その近代というプログラムが、いま行きづまってしまっている。そのために、未来へのヴィジョンがまったく見えないまま漂流をつづけているような不安感が、世界中を覆っている。
 こういうとき人はよく、自分たちの手近な過去へ目を向けようとする。近代の少し前の時代の伝統を取り戻そうとしたり、それが「日本的なもの」の神髄だなどと考えて、力ずくで復活させようとしたりする。しかしそういうタイプの「日本的なもの」に、いくらしがみついてみても、だめなものはだめなのである。そういう思考法じたいが、近代的な思考の仲間なのであって、そこから未来へのヴィジョンが開かれてくる可能性は、まったくない。