ジャック・デリダ『アーカイヴの病』

晴。

午前中、ごろごろ。
昼からもごろごろ。何もする気が起きない。

あまりに何もしたくなし、何を読みたくもないので、いっそデリダでも読んで見る。どれくらいぶりやねん。


図書館から借りてきた、ジャック・デリダ『アーカイヴの病』読了。これ、過去に読んでいるのだろうとブログ検索してみたら、読んでいないみたいだった。いずれにせよ、わたしなんぞが読んだってどうにもなるものではなし、やっぱりわけがわからなかったが、でもおもしろかったね。訳者解説を読んでも訳者もよくわかっていないのが明らかなので、笑える。まあ、フロイトが話題になっているのはわかるのだが、とりあえず「死の欲動」が問題になっているのだけれど、あいかわらずデリダはわざわざめっちゃわかりにくい言い回しで語っているし、それにところどころで極めて些末なテクスト解釈論議に花を咲かせてみたり、例の韜晦ぶりである。で、ところどころで「ユダヤ人科学」ということも話題になっていて、何やら、フロイト精神分析を「ユダヤ人科学」だとでも言ったのだろうか。わたしは無知なのだが、そうならそうとわかりやすく言ってくれたらよいのに、またまたデリダ風の味付け。イェルシャルミとか、知らねーし。最終的に、「アーカイヴ」って何だよ。フロイト精神分析)の資料庫かよ。ま、こういうのをわからないといけない、あるいはわかったふりをしないといけないかしこい人たちは大変だなあ。
 でも、何も読みたくないところに、こういう「詩」みたいなわけのわからない文章は元気が出た。もう、いまは哲学・社会学=パズル解きで、意味ばかりで疲れているわたし(いや、読んでいないけれどね)。ま、あれはあれで意味はあるのだろうけれどな。皆さんかしこすぎるぜ。
 文学も閉じているしな。かしこい人たちは下らないアニメでも見て、脳みそをぶっ壊しな。

 
マイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』を読み始める。