吉田秀和『永遠の故郷 真昼』

曇。
トランプ・アメリカ大統領というのは、頭がよく、自分勝手で、上品さが欠如しているという点で、いまの世界のエリートたちの典型ではないか。必ずしも孤立した現象でないように思う。日本でもいまやこういう人たちが日本を動かしているのは周知であろう。

図書館から借りてきた、吉田秀和『永遠の故郷 真昼』読了。この人の感受性の限度が見えてこない。とても深いものである。子供の頃小樽に住んでおられたとき、冬の小樽は東京に比べればもちろん比較にならないほど雪が積もるわけであるが、その雪解けの光の中で、芽吹き始めた小さな緑を雪の隙間に見つけてハッとしたというエピソードが印象的だった。その直後にネコヤナギの枝を折って持ち帰ったのと合わせ、それが本書によれば著者の原点であるようだ。深い感受性をもった人は、子供の頃に何か特別な体験がある。例えばこれから、これも子供の頃、朝登りだした太陽かそれとも落日だったか忘れたが、その太陽にまともに直射された原体験をもつ谷川俊太郎を思い出した。
 それにしても、ドイツ・リートの世界はかくまで深いものか。確かにマーラーのオーケストラ付き歌曲はすばらしいものであるが、自分などはとてもここまで深く聴けない。何ともため息が出てしまうくらいの、西洋理解である。この地点から、我々はいかに後退していることか。
 自分もマーラーの歌曲については思い出があるが、まことにささやかなものなのでここには書かない。それから、「魚に説法する聖アントニウス」の歌曲が転用されたのは本書では交響曲第三番だとあるが、自分は第二番の第三楽章だとばかり思っていた。記憶違いだっけ。

永遠の故郷――真昼 (永遠の故郷)

永遠の故郷――真昼 (永遠の故郷)

後記。調べてみたけれど、やはり第二番だと思う。