曇。
プログラミングの夢を見た。だいぶ血肉になってきたということかな。
モーツァルトのピアノ・ソナタ第八番 K.310 で、ピアノはエミール・ギレリス。これはギレリスにしかできない演奏だな。硬質なタッチで、一点もゆるがせにしない。深く感じ入った。
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第三番 BWV1006 で、ヴァイオリンはヒラリー・ハーン。ヴァイオリンがよく鳴っている。
今日は人間のクズ的に一日中寝ていたい気分なのだが、なかなかそうもいかない。
MF / 人工知能に神を期待すること
おもしろかった。愛読しているブログだが、さすがのエントリだと思う。コメントも書いたのだが、エラーが出るようだ。残念。特に、「働かないトップがいる組織の方がパフォーマンスがいいのを何回も見てきた」というところには感銘を受けた。この人は優秀なひとだが(若い医師らしい)、ただそれだけではないことがわかる。
俺、これ見てちょっと泣いたんすけど(笑)。まったく Ruby 贔屓にも程がありますよね。しかし、Ruby と出会わなかったらこんなにプログラミングが好きにならなかったかも知れない(ヘボですが^^;)。僕には不思議なプログラミング言語である、Ruby というのは。
それから、僕は Ruby on Rails はあまり知りません。本も一冊もっているだけ。Ruby は RoR で世界的にブレイクしたけれど、それだけの言語ではないと思っています。
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昼過ぎ、酒屋。ついでにミスタードーナツ バロー各務原中央ショップ。大岡信を読む。帰り道でスピード違反の取り締まりをやっていた。このあたりの主要道のひとつだが 40km/h 制限なので、普段ならほとんどの車が引っかかるだろう。皆んな今日はどうしてこんなにノロノロ運転なのかと思ったら、こういうことでした。それにしてもイヤらしいところで取り締まるなあと思った。
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大岡信『うたげと孤心』読了。名著として有名な本なので、以前から読んでみたかった。岩波文庫に入ったので直ちに一読したが、なるほど、こんなにおもしろい本は滅多にない。といっても正直に書くが、最初の方は自分の古典に対する教養のなさに我ながらうんざりしていて、素直に読めなかったのである。また、著者の強調する「うたげ」と「孤心」も、和歌は主に社交性の機能として作られ、しかし優れた歌はそれに留まることなく、「孤心」をもった者にしか作ることはできなかったというような、いまでは常識ともなった、ほとんど陳腐な主張ともいえる。けれども、これは本書の影響が大変に大きく、遂には陳腐化しただけのことであって、著者の名誉は揺るがない。
でもまあ、そんなことはどうでもいいといえば、自分にはそうなのである。自分が本書でとてつもなくおもしろいと思われたのは、和泉式部と藤原公任の丁々発止を描いた「公子と浮かれ女」と、後白河法皇を扱った最後の三章、それに尽きるのだ。両者とも、古典の世界を現代の目で、あざやかに我々の方に引きつけてみせる、得難い文章であった。幼稚な言い方をすれば、どうしようもなく本性的に男が好きで、しかも直覚的な、意識の底から湧き上がってくるような動物的な和歌を作る和泉式部や、源氏や平家の武士たちを翻弄し、権謀術数に明け暮れつつ、その核はただただ今様に取り憑かれて無私を体得したかのような、後白河法皇の姿がありありと眼前に浮かぶほどなのだ。いやこれ、おもしろいマンガにすらなると思う(これは幼稚な自分による褒め言葉である)。古典を現代に引き寄せる、これほどおもしろい作業はなかなかないだろう。なお、上に挙げた和泉式部と後白河法皇の回は、著者も会心の出来であったと思しい。さもありなん。まさしく岩波文庫にふさわしい名著であると思う。
- 作者: 大岡信
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2017/09/16
- メディア: 文庫
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