井上達夫『自由の秩序』/吉田秀和『名曲のたのしみ、吉田秀和 第一巻 ピアニストききくらべ』

日曜日。晴。
よく寝た。ものすごく俗な夢を延々と見ておもしろかった。自分の凡俗さを目の当たりにした心持ち。
ひねもすさんのブログですばらしい写真たちと文章に接して心が洗われたような気分になる。えらい人ってのはいるものだな。

スカルラッティの七つのソナタで、ピアノはエミール・ギレリス。最初スカルラッティにしてはダイナミクスの幅が大きいかなと思ったのだが、たちまち惹き込まれていった。ギレリスは決して心ないピアニストではない。これもまた巨匠の音楽である。

モーツァルトのピアノ協奏曲第十九番 K.459 で、ピアノはラドゥ・ルプー。


ウチの桜がようやく開花。

井上達夫『自由の秩序』読了。きわめておもしろかった。爽快なまでに論理的な言説の展開である。どういう頭のいい人であろう。まあ正直言って自分にはむずかしすぎるのであるが、それでもおもしろいことに変わりはない。特に「自由に対する正義の先行性」という命題は刺激的である。よく考えてみることにしよう。著者は論理的整合性の力をとことんまで信じているのだな。それにしても、本書における「質問」「質疑応答」がフィクションであるというのは本当なのだろうか。自分は読んでいて、これほどのレヴェルの高い質疑応答が可能であるとは、世の中には頭のいい人がたくさんいるものだと驚嘆していたのだが。ノンフィクションであると信じたいところである。いや、実際にレヴェルとしてはこれだけの高さの議論ができる環境が、著者のまわりには存在するのかも知れない。すごいなあ。


1634夜『春は鉄までが匂った』小関智弘|松岡正剛の千夜千冊
「千夜千冊」の最新のエントリがおもしろかったのでさらに幾つか読んでみたが、やはり前と同様出来栄えにはかなりムラがある。まあそれはいいけれど、「千夜千冊」にまだプログラミング本は登場していないようだ。僕は Ruby というのは(まつもとさんは懐疑的だが)やはりまぎれもない、日本人の創り出したプログラミング言語だと思っているので、松岡正剛がそれを書くのを楽しみにしている。どうして Ruby はこんなにおもしろいのか(というのはもちろん主観にすぎないが)、まだはっきりとその理由を書き留めた人はいないように思う(まつもとさん自身が控えめに書いたこれまでの文章がかなりそれに迫っているが、まつもとさんは modest なので自慢は書かない)。僕も、まだダメだ。しかし、誰かが書くといいのだけれど。たぶん、松岡正剛には書けまいが。とにかく、Ruby は日本人でなければ創り出せなかったように、自分には思われるのだ。

図書館から借りてきた、吉田秀和『名曲のたのしみ、吉田秀和 第一巻 ピアニストききくらべ』読了。西川彰一編。NHK-FM で長らく放送された吉田秀和さんの名物番組を活字化したもの。これはとてもしんどかったので、途中で休憩を入れて読んだ。音声から文字起こしした文章だが、これを読むと、稀代の文章家であった吉田さんが、文章ではその感性の鋭さを巧みにくるんで表現されていたのではないかと思わされる。本書の文章は読まれることを想定されていないが、これはこれで強く惹きつけられるものがあり、強度もすごくて読んでいて疲れるのだった。それにしても、これほど音楽が聴きたくなる文章に遭遇したのは久しぶりのことである。自筆の文章には慎重に書かれていないことでも、語りでは本音がぽろりと見えるところもあり、そういう意味でも刺激的だった。そして、やはり(当り前だが)音楽を深く深く聴いておられる点、到底及びもつかないと嘆息させられた。本当に吉田さんは、不世出の音楽批評家でした。同時代を過ごせた幸運に感謝したい。
名曲のたのしみ、吉田秀和 第1巻 ピアニストききくらべ

名曲のたのしみ、吉田秀和 第1巻 ピアニストききくらべ


(You Tube)Emil GILELS plays BEETHOVEN 32 Variations Live
ベートーヴェンの三十二の変奏曲ハ短調 WoO 80 で、ピアノはエミール・ギレリス。1968/1/18 Live. さすがギレリスというところもあるが、一部はちょっとテンポが速すぎるのではないか。とにかく指がよくまわるのはすごいのだけれど。いまでは絶対にあり得ない演奏だし、仮にいまこうしたら非難轟々なのではないか。そりゃびっくりはするが。

スクリャービンの五つの前奏曲 op.16 で、ピアノはイーゴリ・ジューコフ。甘いスクリャービンだ。スクリャービンの音楽には確かにこうした甘美さがあり、それを最大限に表出した演奏だろう。すぐに終ってしまう、もっと聴いていたいのにと感じる。

スクリャービンのピアノ・ソナタ第三番 op.23 で、ピアノはグリゴリー・ソコロフ。

妹一家帰る。