ホブズボームをがんばって読む

にゃーんかな。
深夜起床。四時間くらい眠って起きる。朝食まで腹がへるので、自室に常駐してあるリッツクラッカーを食ってしのぐ笑。
そっかー、昨日の深夜00:03が冬至だったんだね。まるで忘れていたや。
 
曇。
図書館から借りてきた、ちくま学芸文庫版ホブズボーム『20世紀の歴史』(邦訳2018、全二冊)の、上巻を読み終えた。朝食後から、昼食をはさんでやっとという感じ。むっちゃつかれたー。
 ホブズボームは、1914年の第一次世界大戦の始まりから、1991年のソ連崩壊までを、「短い二十世紀」といっているが、とりあえず邦訳上巻は、その第一次大戦から1945年の第二次大戦の終結までの第一部「破滅の時代」と、その後冷戦期の前半である第二部「黄金時代」の途中までを扱う。上巻を読む限り、その(下巻にも入る)「黄金時代」がどこで終わるか、どうも判然としない。たぶん1968年の学生反乱(いわゆる「パリ五月革命」)あたりから、1973年の石油危機と翌年の株価大暴落あたりまで、その間のどこかが画期になるのだと思う。
 正直いって、第一部「破滅の時代」は、まあふつうの歴史書、って感じ。おもしろくはあるしさすがの観察眼も光るが、それほどの独自性は(少なくともわたしは)感じなかった。
 本書が本当におもしろくなるのは、冷戦期に入っての第二部からである。上巻では第八、九章のたった二章分であるが、これがわたしには、べらぼうにおもしろかった。
 特に第八章「冷戦」は、アメリカとソ連が常に核戦争の危険の中にありながら、ほとんど馴れ合っていてお互いの体制の存続を保証していたという、ちょっと稀な(?)史観の下で書かれている。ソ連は決して現状維持以上を求めなかったし、アメリカは(やれば可能だったにもかかわらず)ソ連の体制を崩壊させようなどとは、夢にも思っていなかった。核戦争の危険は、ほとんどなかった、まあ、そんな感じで書かれていると、わたしには読める。
 だから、冷戦期は、いわば「黄金時代」であったのだ。それが第九章である。確かに、アメリカは五十年代、空前の繁栄を見たし、欧米全体が文明のすばらしさを謳歌していた。こんなよい時代は、かつてなかった。経済はうまくコントロールされていて、大きな崩壊が起こるとは、誰にもまったく思えなかった。
 さて、わたしは第八章を読んでいて、まったく突拍子もない空想をしていた。ホブズボームは少なくともこの上巻においては、徹頭徹尾、欧米のことしか語っていない、と。というか、正確には、「世界は欧米のものである」といった方がいいだろうか。二つの「世界大戦」も、ほとんど欧米の戦いである――そこに、日本というファクターがなければ。そしてホブズボームは、その大戦を記述するに、日本については、最小限度の分しか、筆を割いていないのだ(!)。
 冷戦期においても、まったく同様である。ここでも世界は欧米のものである。わたしは本書上巻を読んでいて、ゆくりなくも、西洋の「抽象概念と構築的論理」の偽善が、世界を隈なく覆ってゆくのを見る気持ちだった。そして、この偽善は、いまもまったく変わらずに続いている。日本においても「抽象概念と構築的論理」の精神的侵略は着々と進んでおり、これが(日本のみならず)全世界を覆い尽くすのは時間の問題だろう。
 こうして、全世界の「西洋化」は完了する。それはいわば、ある種の「世界の終わり」、のように、わたしには思える。
 なーんてね。