現代と「信仰」

曇。夏は季節が移り変っているという感じが薄いように思える。
 
アゲハチョウが飛び、絡み合っている。カワトンボが葉から飛び上がり、すぐに同じところへ戻る。
スーパー。プリペイドカードのチャージ。くだもの類が高くて、もう長いこと買ったことがない。もっとも、バナナは老父が朝食に食うので、いつも買っている。
 
昼。

老父のスイカの初物。雨で割れたので収穫、そのためか一部傷んでいるようだった。
 
雨。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ハニーディップブレンドコーヒー451円。
 レヴィ=ストロース『遠近の回想』の第一部「ドン・キホーテの帰還」を読み終える。レヴィ=ストロースと関係がないが、わたしの心の底はない、無底だなと思いながら読んでいた。東洋的虚無といってもいいが、そういうだけですでに「有」が入り込んでいる。「無底」というだけで、もはや「有」だ。わたしには、わたしのすべてを一記号で規定するような、そういうひとつの「記号」はない。それがいつわらざる実感であるが、さて、レヴィ=ストロースはひとつの「記号」で覆えるか? 例えば「構造主義」という記号。しかし本書からわかるとおり、それはレヴィ=ストロース自身の受け入れる「記号」ではない。彼は、自分に貼られた「構造主義者」というレッテルに対し、ほとんど怒りをもって対している。もちろん、彼にとって「構造」という語は大切なものであったが、それは例えば浅田さんが『構造と力』でクリアに説明してみせた、「構造主義からポスト構造主義へ」というような流行的な潮流においてとは、まったくちがう意味のものだったことはまちがいない。レヴィ=ストロースは、パリの「1968年5月」の重視にも、否定的であるし。
 

 
地球温暖化は防げる?(Kurzgesagt) - YouTube
ある程度知識をもった人向けの動画。なかなかよく出来ている、って上から目線だけど、じつはわたしも答えをもっていない。正直いってこの問題についてわたしに答えも希望もないけれど、希望がなくとも諦めるわけにいかない問題である。グレタさんなどは、希望はなくとも行動はできるとおっしゃっていた。とてもこの人のようには、意志の弱いおっさんは生きられなくて、恥ずかしいが。
 Kurzgesagt については Wikipedia に項目がある。わたしは日本語版 YouTube 動画を時々観ている。その主張のすべてを異論なく認めているわけではないが、若い人向けの、マジメで比較的質の高いチャンネルといえる。わたしのようなおっさんにも、じつはおもしろい。
 

 
夜。
おれたち日本人には「信仰」がわかるのだろうか? | 黄金頭 | Books&Apps
おもしろかった。「信仰」というのがわからない、か。でも、そうか? そういうわりに、現代人は資本主義的価値観や、現代倫理や、科学を、ア・プリオリに「信仰」しているではないの。人はとりあえず、子供の頃からその中で生きてきたところの、生まれた時代の「基盤」を無批判的に「信仰」するしかない。現代日本人の多くが宗教を「信仰」しないのは、そういう社会に生まれているからにすぎない。
 っていうのは、まあ、冗談である(元の文章にもきちんと書いてある)。宗教的な信仰心なんかなくたって、資本主義的価値観で、また哲学で、科学で救われるのならば、それはそれでいいのだと思う。人生に意味はないし、人生はつらい。それは真実だが、だからこそ自分の人生に、自分を納得させる意味を見つけずに、生きていける人はたぶんほとんどいない(わたしもムリだ)。だから、資本主義的価値観で、また哲学で、科学で救われるのならば、それはそれでいいのである。もちろん、彼氏彼女の存在や、自分の子供の笑顔、そんなので救われるとかなら、いちばんいいのだろうが。
 宗教的信仰心。しかし、ある意味で高度に知的な仏教である禅宗では、仏に逢っては仏を殺せという。寒ければ本尊を火に焚(く)べて暖まってよしという。当然、「信仰心」などに囚われてはならない。「信仰心」など、我々を惑わす魔にすぎない。
 そういう禅宗と、弥陀の本願をただひたすら頼みまいらせる浄土真宗が、最終的に同じ場所に至る仏教というのは、おもしろい。それ(同じ場所に至る)は本当かって? 鈴木大拙博士の中で、禅と真宗が矛盾なく同居していたのを、世の識者たちはよく理解している筈でしょう。絶対自力と、絶対他力は、つまるところ一致する。
 しかし、こう考えると、あまりにもかしこすぎる現代人は、例えば真宗よりは、いったんは「信仰心」など否定する禅の方が合っているのかも知れない、と思う。最終的には、同じなのだが。
 確かに吉本さんには特定の宗教に対する「信仰心」はなかった。でも、知的にそれに対応する何かがあったのは確実である(いっておくが、知的に誰かを崇めたということではない)。でなければ、自分が理解されない孤独をあれだけつらがっていた筈がない。いや、そのつらさに堪えられた筈がない。吉本さんは、それをほとんど語っていないが、時に外に漏れていた。
 いや、未熟者がわかったふうなことをいうのは、ここまでにしておこう。にわかほど語りたがると、プログラミングの世界でいうとおり。