「生きることのむなしさ」の蔓延

曇。
 
【戸澤 采紀、佐々木 つくし、石田 紗樹、上野 通明】ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第1番ホ短調 - YouTube
このところ YouTube で「公益財団法人江副記念リクルート財団」というチャンネルの動画を時々視聴している。この「財団」が何かじつはよく知らないのだが、どうやら、才能ある日本の若者を応援するそれ、ということらしい。いくつかの部門に分かれていて、この YouTube チャンネルでは主に、「器楽部門」の奨学生による、室内楽演奏会の動画を配信している。実際、日本の有望な器楽奏者による室内楽の有名曲のレヴェルの高い演奏が聴けて、とても楽しい。どれも、へー、なかなかだなーって思う。
 
スーパー。五倍ポイントの日で混雑。もうお盆のための提灯とか、花立てとか売り始めた。さすがに気が早すぎるんじゃない。そうそう、土用の丑の日のうなぎの予約も始まった、これも気が早いでしょ。

わたしは思うけれど、現代で鬱気、しようがないところもあるなって。社会はあるべき方向に少しずつは変わっているのだけれど、結局それは、あまりにも遅々としすぎている。社会人は働くのがたいへんすぎて、じっくり社会の問題を考えるヒマがない。それはたぶん、学者も一緒というところがある。
 で、確かに気候変動問題はまず喫緊の課題だし、先進国の少子高齢化は深刻で、そのために(労働力の移動としての)移民問題が避けられないとか、はたまた「G7 vs. グローバルサウス」という世界の二極化(新たな「冷戦」)とか、大問題は山積しているのだけれど、でも、わたしがいちばんの問題だと思うのは、現在の経済・労働形態による、世界的な精神の画一化、浅薄化であり、そのための「生きることのむなしさ」の蔓延だと思う。どうも、その問題から、我々は目を背けているようであり、それは、これからも続くだろう。我々はもっとゆっくり、じっくり「生きていること」を感じて、生きねばならないとわたしは思っている。でも、それは何のことか、理解されていないし、まあ、皆んなかしこすぎるから、そんなのは、幼稚な寝言だと思われるのがオチだよね。
 

 
昼から県図書館。晴れる。猛暑日に近い気温になってきた。



借りてきたもの。最相葉月さんの『セラピスト』(2014)、それとも関係する『中井久夫集5 執筆過程の生理学』(2018)。レヴィ=ストロースの『遠近の回想』(邦訳2008)、マリー・ボナパルトの『クロノス・エロス・タナトス』(原著1952、邦訳新装版1978)。新しいところでは、ジョエル・コトキンの『新しい封建制がやってくる』(邦訳2023)、スラヴォイ・ジジェクの『あえて左翼と名乗ろう』(邦訳2022)。
 ジジェクはわたしが学生の頃など、浅田さんがプッシュしたりして結構なビッグネームだったが、いまでは一般的な存在感はまったくないと思う。まあ軽くてクソむずかしい、特に読んでも意味がないようなものだったので、それもわかる。かしこい学生のハッタリ用の著作家だったな。わたしも時代につられてよくもわからず読んだのがいまとなっては恥ずかしい。
 
 
最相葉月さんの『セラピスト』を読み始める。おもしろい。こういう深い心の世界を扱う本を読んでいると、自分は何か人として欠けているところがある、という思いに襲われることがよくある。それ(欠落)が本当にそうなのか、はわからないけれど、そう思うことが多々あるのは否めない。セラピストは対話、というか、人と人が同じ場を共有するということ――それを純粋に突き詰めたような職業であるが、考えると、わたしは人よりも、本と付き合ってきた人間なんじゃないかと思ったり。いや、いまは本もあまり読まなくなったが、それでも、ふつうの人(?)から見たら、読みすぎかも知れないのだ。
 「箱庭療法」は言葉を使わない、それが大事なのだ、というのはおもしろい。言葉にしてしまうと失われるものがある、というのは、象徴構造は貧しいというわたしの考えとよく合う。
 
夜。
Fate/stay night』(2005)第11話まで観る。やー、1話観たら止められなかったな。さすがに有名作、2クールの一気に半分を観てしまった。なるほど、セイバーが堅物で、遠坂凛ツンデレなのね笑。随分と昔の作品だから(いまから見ると)絵のクオリティは低いし、戦闘シーンの効果も弱いけれど、話はほんとおもしろい。つまるところ、神アニメって、昔のばっかじゃん。