晴。
寝坊。八時すぎまで寝てしまった。起きてもまだ眠気が残っている。
昨日、中沢さんの『100分de名著 レヴィ=ストロース 野生の思考』(2016)を読んでいたら、こんな何気ない一節があった。「ところがアメリカをはじめ、ヨーロッパでも、ロシアでも、中国でも、そして日本でも、人々の頭上を巨大な古い瘡蓋(かさぶた)のようなものが覆ってしまっている。」(p.7)わたしもまったく似たような感覚に日々襲われているなと思う。土台というものがグズグズになっていて、その上に構築されている壮麗な建造物が、堅固な安定性を欠いているというような感覚。しかし、その不安定さに気づかず、あるいは気づかないふりをして、その建造物を日々建て増しする作業に没頭する我々。中沢さんがそれを、もはや死んだ「瘡蓋」と表現しているのは、ある意味もっと辛辣なようでもあるが。まあ、わたしは中沢さんに深く影響されているので、驚くほどの一致ということもないだろうが、それでも感覚レヴェルで似たようなことを感じているのは、さて、どういうもんかなと思っている。
しかし、いろいろと、わたしに共感してくれる人は、ほとんどいないんだな。そのことはわかっている。でも、何とかモチベーションを維持できるよう、がんばってみる。大したことない人間は、大したことないなりに、(たとえムダでも)やるのだ。
この「土台の崩壊」は、言葉によってがっちりと構築されている頭のいい人たちのレヴェルでは、まだまだあまり実感されていないようにも思う。むしろ、民衆レヴェルで、心の病、生きづらさなどとして、若い人たちを中心に、現象として表れているのではないか。それで、いま、若い人たちが「哲学」というものに一種の救いを求めているようなのは、感じる。でも、たぶん、「知」がそれに対応するのは、いちばん最後なのだ。ヘーゲルではないが、ミネルヴァの梟は暗闇に飛ぶ、のである。
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昼から県営プール。暑くなってきたせいで泳ぐ人が増えた。
肉屋。牛肉半額のやつを買う。ガソリンスタンド。
アジサイ。
ミニトマトの茎を支柱に結びつけてやる。それから、樋の接合部の微調整。