プログラミングの世界は変わった

日曜日。未明起床。
晴。朝焼けの空。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十一番 op.53 で、ピアノはマウリツィオ・ポリーニNML)。アニメの『WHITE ALBUM2』を観ていたら聴きたくなった、「ワルトシュタイン」ソナタ。わかる人はわかるよね笑。わたしにとって「ワルトシュタイン」というと、ポリーニのこの 1988年の録音がつい思い浮かんでしまう。彼は 1997年にこの曲を再録音しているが、そちらはあまり記憶にない。
 あらためて聴いてみるとこの曲、ガガガガガという同一(和)音の連打がイヤでも耳につくよね。坂本龍一さんが、「労働としての音楽」といって半ば呆れていたことをを思い出す。きわめて平凡で単純なモチーフを、煉瓦のように積み重ねて構築された曲、という意味だ。
 ポリーニははっきりいって、この 1988年の段階で既に壊れている。ポリーニの特徴だった、天高くから地深くまで貫かれた axis mundi も、マンダラ的中心も失われて無く、無理に中心を作り出そうと、圧倒的なテクニックが空回りしている。いわば、「病的」な状態。この異常な現代(これが既に壊れている)においてマジメな努力家というのは、ともすればこうなるんだ、わたしにも覚えがあるので、人ごととは思えない。結局ポリーニは、いったん壊れたあとは、一進一退を繰り返しながらも、ついに回復することはなかった。

 
スーパー。三倍ポイントの日。キャベツが半玉200円は高いのではないか。おでん種の種類が減った気がする。家で一からおでんを作る人が少なくなったのかな。代わりに、丸ごと温めるだけというおでんパックを見かけるようになった。
 
コメダ珈琲店各務原那加住吉店にて昼食。ミックストーストとシロノワールを老母と分け合って食う。シロノワール、よくこんなもの考えついたな。熱いふわふわパンと冷たいソフトクリームと、バターとメイプルシロップとかね。
日差しがあって車の中はポカポカと暖かい。
 

 
午後はダラダラと何をするでもなく Ruby のコードを読んだりして過ごしてしまった。
 わたしはプログラミングはまったくの独学で学んだだけだが、プログラミングの世界も随分と変わったものである。子供のときは機械語アセンブラ)から BASIC、それから長いブランクを経て、Rubyプログラミングは四十代から始め、これで十年間ほどになるだろうか。いちばん変わったのは、インターネットの普及と共にプロのプログラマが増え、全体のレヴェルが格段に上がったことだ。わたしが Rubyプログラミングを始めた頃は、ネットで見かけるプログラマのレヴェルが低く、正直いって、プロでもわたし以下のレヴェルの人がたくさんいた。
 いや、いまでもそういう人はいるかも知れないが、もはやそういう人をネットで見かけることはほぼない。そして、ネットに書かれている題材も、専門的な話題が多くなった。わたしのように、アマチュアで遊んでいるような人間を、あまり見かけなくなったのが残念である。そして、プログラミングの規模も、個人で遊べるレヴェルでなくなりつつある。いかに、既存の技術を組み合わせて、大規模で高度なものを作れるか、ってな感じで。
 わたしが好きで遊んでいる Ruby というプログラミング言語は、個人で使って日常で遊ぶには最高のプログラミング言語かも知れないんだよね。まつもとゆきひろさんという日本人が1995年に作った、世界的言語で、ウェブサイトやウェブサービスを作るのに、いまでも世界中で使われている。皆んな知ってる、X (旧ツイッター)も、最初は Ruby で書かれたんだぜ(いまはちがうけれどね)。
 
プログラミングの世界も変わったなーって思うのは、言語自慢、あるいは言語dis が少なくなったことだ。Ruby は日本人が作って世界的に有名になったから、これはあいかわらずの日本人の特性だけれど、日本人によく disられたものである(日本人の小澤征爾dis をちょっと思い出させる)。でも、そういうのは減ったなー。言語は仕事で使うもので、その用途に合った言語をこだわりなく使う、って感じになった。Ruby はウェブ開発用の「Ruby on Rails」ってフレームワークで有名になったから、いまではもっぱら Rails ということになっている。わたしなんかはウェブサイトを作ることはないので、Rails はあまり関係がない。わたしはあくまでも、Ruby という言語が好きなのだ。
 よくいわれるのは、Ruby は「コードを書いていて楽しい」言語である、と。Ruby は様々な言語パラダイムを巧みに融合しているので、習熟すれば、アルゴリズムを実装するのに、もっとも適切に、しかも短く、読みやすく書ける、という感覚である。どういう書き方を選択するか、それでうまく書けたときは、自己満足感がすごい。楽しいのである。手続き型、オブジェクト指向、関数型。それらを巧みに組み合わせて、左から右へデータがなめらかに流れていくように、短く読みやすく、書く。
 これはあまり趣味がよくない楽しみ方かも知れないけれど、他の言語で書かれたコードを、Ruby ならどう上手く書けるか、というのを考えるのは、かなり楽しい。あ、いじわるかも笑。
 でも、こういうのは、いわばアマチュアの楽しみなんだよね。そして、そういう楽しみ方は、いまではあまり目立たなくなった。
 
プログラミングはもともとは「理系的」だったが、いまはもう理系・文系はあまり関係ない。文系のプログラマはふつうだと思う。ただ、わたしが思うのは、プログラミングと「人文学 humanities」を融合させるのは、なかなかむずかしいようで、これからの課題だろうな。わたしも、上手くそうできているとは全然思わない。さらにいえば、無分別知とプログラミング。