晴。
それにしても、「コードギアス」は見事にわたしをぶっ壊してくれたな。この領域を埋めるには、しばらく時間がかかりそうだ。
昼。
山下達郎『MOONGLOW』(1979)を聴く。傑作。そもそも名曲「RAINY WALK」が聴きたくなったのだが、「HOT SHOT」のあまりの格好よさに、不覚にも泣けてしまった。もう何十年と聴いてきたアルバムだが、天才は失われるものなのだなとか思った。山下達郎はパラノイアックな創造性なので、歳を重ねる先の凡庸化は避けられない。それにしても、あらためて、この時点における、何というあざやかな才能! いまの「鬱の時代」は、やることといったらすべての解体であるし、それはもう相当のレヴェルで進んでいる。もはや、既存のモナドの組み換えがあるだけで、独創性というのはほとんどあり得ない。
どんよりとした曇。珈琲工房ひぐち北一色店はめずらしく(?)空席がほとんどなかった。またコロナ陽性者が激増しているので、気にして出かけないようにしているのだが、もう皆んな罹患を気にしていないよね。
『コレクション瀧口修造8』の続きを読む。瀧口を読んで少しの間は、感覚がフレッシュになる感じをいつも覚える(というのは何度も書いたが。武満さんの文章もそういう感覚を目覚めさせる)。感受性を聴き潰した車内のBGM(ピリスの弾くモーツァルト)も、しばらく生き還るのだ。いま、瀧口みたいな人って、いろんな意味で、いるのかしらと思う。少なくとも美術評論家という一点から見ても、生きた「美術」を同時代的に総合的にカバーしている人がいたら、わたしのような田舎者にも役に立つのに。そもそももはや生きた「美術」はなくて、あるのはアートだけだという感じもする。これもまた、モナドの組み換えに過ぎない。
中沢新一『今日のミトロジー』落掌、直ちに読み始める。『週刊現代』における連載(わたしは知らなかった)をまとめたもののようである。題材は何でもいい、短いエッセイを、ということなのかな。この題名は、ロラン・バルトの『ミトロジー』(邦題『神話作用』)を意識してつけられたらしい(それとたぶん、レヴィ=ストロースの『今日のトーテミズム』)。まさにわたしの渇を癒やしてくれる新刊だ。いま読んだ中に「シティポップの底力」という文章があって、山下達郎の70~80年代の仕事に肯定的に言及してあり、とってもうれしかった。たまたま、さっき聴いてたばかりじゃん。中沢さんが細野晴臣や大瀧詠一や大貫妙子と共に、山下達郎に言及してくれるとはねえ。
少しずつ『レンマ学』を読み返しているところなのだが、こういう超ハードな思想書をものすると同時に、本書のような軽い(でも中身は詰まっている)エッセイが書けるのが、中沢さんって人だな。古希を過ぎてますます自在。
中沢さんはこんなことを書いている。
「二〇二二年六月、BTSが活動を休止すると発表した。そのときのメンバーの素直な告白を聞いていると、世界のマーケットを舞台とする音楽産業が、若いアーティストの才能を消費していく、その消耗戦のすさまじさに怖さを感じた。これではビリー・アイリッシュにせよジャスティン・ビーバーにせよ、どんなに豊かな才能に恵まれたアーティストでも、数年もたたないうちにやせ細ってしまう。」(「シティポップの底力」p.67)
夜。雨。
図書館から借りてきた、黒川創『ウィーン近郊』(2021)読了。なかなかよかった。ただ、この小説には視点が二つあって、それがよくわからなかった。主人公が二人いるようなものだ。「妹」が主人公でよかった気がするが、「外交官」の視点で最後は終わっている。何か僕、よく読めていないかな?
中沢さんの『今日のミトロジー』、可笑しい。前方後円墳と宝塚歌劇場の類似性も可笑しいし、日活ロマンポルノ「㊙︎色情めす市場」(1974)が2022年のベネチア映画祭で上映されたって、マジですか笑。もっとも、題名は翻訳不可能で、映画祭では「受胎告知」になっていたそうであるが。わたしはこれを読んで早速 U-NEXT で検索してみたが、さすがにありませんでしたな。