こともなし

晴。
昧爽起床。朝五時だとまだ暗くなったな。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第六番 op.30-1 で、ヴァイオリンはヴォルフガング・シュナイダーハン、ピアノはカール・ゼーマンNMLCD)。よいな。

ヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタで、ヴァイオリンはヴィクトリア・ムローヴァ、ピアノはピョートル・アンデルジェフスキ(NMLCD)。■ハチャトゥリアンのヴァイオリン・ソナタで、ヴァイオリンはアダム・グリューチョ、ピアノはマリアム・ハラチヤン(NMLCD)。

第21回 国家は文化芸術を主導すべきか?――政治体制と芸術家たち | デモクラシーと芸術 | 猪木武徳 | 連載 | 考える人 | 新潮社
感銘を受けた。いつもながら、誰にでも書ける文章ではない。「芸術」を云々する知識人はもちろん掃いて捨てるほどいるが、芸術をここまで理解玩味し、国家・社会と歴史と人間に対して深く目配りできる人物は極めて限られてくる。いまでもこんな学者がいるのだな。

図書館。棚から本を抜いてページを繰っているうち、気が滅入ってくる。
支払いのため、近所のコンビニまで歩く。

夕飯はもち米シュウマイ。なかなかうまかったが、食いすぎました笑。

ちょっとだけ書いておこうか。
とある超有名ブロガーの本日付のブログエントリに「縦割りを排し、統一IDなしには暮らせない社会へ」とあって、軽いめまいというかショックを覚えた。

つまり大事なのは「国民全員に統一IDを割り振ること」ではなく
「統一IDなくしては暮らせない社会」にしてしまうことなんです。

こうきたか。
これはすなわち、監視カメラどころではない、日本を一気に世界先端レヴェルの「監視社会」あるいは「管理社会」にしてしまえというプロパガンダである。もちろんそのことをこの超有名ブロガーはわかっているわけで、そこが趣き深かった。例えばエントリには「これで脱税とか、基本できなくなるっしょ」とあるが、これはつまりアナーキズムとか反国家という発想が非常にむずかしくなるということだ。実際にいまの中国では既にそうなっているが、そういう国家がよい、日本もそうなるべきだということである。つらつら思うに、特に若い人たちが、たぶんそれに賛成なのだろうな。いまの日本は、非効率的で古くさい、遅れた国家だという認識がふつうになっているから。まあ脱税くらいなら(まだ)いい。どうせサラリーマンは脱税なんか端(はな)から不可能だし、脱税している奴なんかは「悪人」なんだから、とかいうのは一応正しそうにも思える。しかしアナーキズム……いや、やめておこう。なんか時代遅れのことをまた書きそうだから。
 いずれにせよ、かしこい学者たちの検討によっても、もはや国家のある程度の「監視(ないしは管理)国家化」は不可避であることを認めざるを得ないらしい。わたしはそのあたりのことは、素人考えしかもっていないし、何ともしようがない。けれども、この段階でいち早く時流に乗り、このようなエントリを影響力のとても大きなブロガーが書いてしまうというのは、繰り返すがわたしには軽いめまいというか、ショックであった。ま、頭のよい人というのはいるものだなということである。


しかし、ヤバい時代だよ。我々のようなだらしのない庶民は、本来ならこんなアカデミックで抽象的な概念なんか放っておけばよい筈だよ。そういう世の中を作るのが、ほんとのエリートってものだと思うが。どんどんだらしなく生きていけなくなってきている。酸素がだんだん減ってきて、息苦しさが増していっている。そのうち、日本の愛すべき超下らないサブカルも窒息するんじゃないか? そうなったらおしまいかも。