「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観る

晴。
午前中は睡眠の後始末。
昼から久しぶりに県営プールへ行くも、高校生でいっぱいで入れず。好天の下ドライブしてきただけのことになった。


SHADE さんに教えてもらった、「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観た。とてもおもしろかった(SHADE さん、ありがとう!)。このドキュメンタリー映画を作ったのはアルゲリッチの娘のステファニーであるが、この映画を観ていてしきりに感じたのは、アルゲリッチが娘たちをとても愛しているということである。親なのだからまあ当り前なのだが、娘が監督だからこそ、アルゲリッチは娘の様々な質問に、誠実に答えようとしているのはまちがいないと思う。恐らく、アルゲリッチには、そのようなことなど本当はどうでもいいにちがいない。娘だからこそなのだ。アルゲリッチはカメラに向かって誠実に答えたのち、いつもカメラに(というより娘に)とびきりチャーミングな笑顔を向ける。さあ、これでいいかしらというように。
 この映画ではどうしても自分の苦手な「人生」というものが出てくるが、アルゲリッチにとっても「人生」そのものなど大した価値をもっていないだろう。音楽のデーモンの領域こそ彼女の生きる場所なのだ。もちろん彼女の「芸術」と「人生」は関係があるにちがいないが、彼女の「芸術」が底なしに深いからこそ、彼女の「人生」も深かったのであり、その逆ではない。そこをまちがえてはいけないと思う。そして、アルゲリッチ自身がここで言っているとおり、音楽は語るものではなく、聴くものなのだ。決して言葉で説明し尽くせるものではない。そこで興味深いのは、アルゲリッチが「演奏する」と「聴く」ことは同じだと語っていることである。まさしくそうである。そのとおりなのだ。
 それから、ステファニーの父親の魅力的なピアニストが僕には最後まで誰かわからなかった。スティーヴン・コヴァセヴィチなのだな。というていたらくであります。あと、この映画のクライマックスはバックにアルゲリッチの演奏でラヴェルのピアノ協奏曲の第二楽章が流れるところだと思っているのだが、忌々しいことにここでは「人生」に感動させられた。僕は「芸術」と「人生」の深い関係に懐疑的であるのだが。
僕には、この映画を観たからといってアルゲリッチの音楽がより深くわかるようになるとは思えない。音楽は、決してそんなものではない。しかし、それでもこの映画がとてもおもしろかったことはまちがいない。ゴシップ的興味ではなくてね。いや、それもあるけれど。結局、外から見た天才芸術家とはどういうものかという、そういう映画なのだろう。そういうものとして、非常によくできていると思う。
あと、映画の題名の邦訳には疑問が残る。原題が映画の内容と関係しているからだ。でも、日本語に直しようがないのも確かで、まあ仕方がないか。
(追記)僕は映画というものをよく知らない。知らないでエラそうなことを書いているとあとで読んで思ったが、愚かしさの記録としてこのままにしておこうと思う。