斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』 / 「コードギアス 復活のルルーシュ」(2019)を観る

雨。
アマガエルが鳴く。
 
昼。雨強し。
(何度も書いてきたことだけれど、いまの日本人はまことに非政治的国民だな。政治家も、一般人も含めて。わたしはテレビのニュースとかほとんど見ないが、長いこと自民党の例の「裏金作り」とそれへの野党の対応で済んでしまっている印象がある。そもそも、自民党はいまだに「裏金作り」など、不正行為を続けたいという欲望を隠していなくて、それが明らかなのに誰もそれを指摘しないところが、のんびりしているという他ない。
 日本人には、政治家や学者も含めて、「国益を最大化する」という観点が非常に薄いと思う。わたしは、そのナイーブさはちょっと買えると思うくらいだ。国際政治を眺めていると、どの国も生き馬の目を抜くようなシビアな国益競争をやっているのであり、時に唾棄したくなるような矛盾的、偽善的、利己的行為に手を染めている。日本だってそうしているつもりなんだが、じつにおこちゃまレヴェルで、ホッとしないでもない。いまの日本人は、よかれ悪しかれ、政治家も国民も、政治的にあまり偽善的でいられないように見える。逆にいえば、政治的レヴェルにおいても、日本人には「正義の追求」がない。それらは表裏一体である。
 そもそも我々日本国民は、強いて政治家に何も求めるところがないんじゃないかと思わざるを得ない。ねえキミ、キミは日本の政治家に、国益の追求として、具体的に何を望む?
 わたしはある意味、いまの日本は政治的理想国家に近いと思う。そのように世界に関心を失った国は、相対的に没落するしかないだろう。それでたぶん、いいのだと思う。たぶん、ね。ただ、ジリ貧の戦争だけはやらないで欲しい。それだけだ。)
 
 
追悼(小澤征爾氏へ)/マルタ・アルゲリッチ | 公益財団法人アルゲリッチ芸術振興財団
26日に水戸芸術館にて、小澤征爾さんの「お別れ会」があったが、アルゲリッチが発起人のひとりだという。検索してみても高齢のアルゲリッチが会に出席したのか曖昧だが。いずれにせよ、わたしは心うたれた。小澤征爾さんとアルゲリッチは、音楽的にとても相性がよく、数え切れないほど共演を重ねてきた。
 わたしだけが小澤征爾をわかっているというようなことは不遜の極みだが、それにしても、日本の多くのクラシック音楽ファンは、小澤征爾の音楽を素直に聴く心が少なかったのではないかと、わたしはちょっと思っている。どうでもいいが。
 
Martha Argerich - Mendelssohn Piano Trio No.1 in D Minor, Op.49 (2024) - YouTube
メンデルスゾーンピアノ三重奏曲第一番 op.49 で、ヴァイオリンはジャニーヌ・ヤンセン、チェロはミッシャ・マイスキー、ピアノはマルタ・アルゲリッチ
Welcome home, Maestro Arming! : Christian Arming conducts Bartók with New Japan Philharmonic | YouTube
バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」で、指揮はクリスティアン・アルミンク新日本フィルハーモニー交響楽団クリスティアン・アルミンク、全然知らなかったが、これは驚いた。小澤征爾の薫陶を受けているのか。新しい時代を作りうる指揮者という感じだな。音楽に透明感がある。2022.7.11 のライブ録音。
 
 
斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』を読み始める。半分くらい読んだところで、一気に読み切らないために中断。しかし、いまさらながらに自分の無知を思い知らされる。これからもそうだろうが。
 
図書館から借りてきた、斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』(2023)読了。軽くておしゃれで読みやすく、じつにうまい文章、でも、政治的なこともしっかり書ける優れた文体だ。かなりハードな読書もしてこられたように見えるけれど、このリーダブルな文体はどうやって形づくられたのかな、って思う。文学、戦争、歴史、フェミニズム、なんとなく、ブローティガンの邦訳者を思い出したり、ただ、著者は韓国文学の人だから、その匂い(?)が染み着いているところがある。
 わたしは、こういう、優れた文学を中心に良質な精神を形成された方ってのが、どうもわからないところがあるな。それは、わたしに何か人としてだいじなものが足りない、そこに関係してくるように思えるのだが。ま、そんなのは他人にはどうでもいいことだな。

 
夜。
イスラエルがラファの難民キャンプ空爆、多数死傷 「ハマスが望んだ戦争」と政府報道官(BBC) - YouTube
 
 
劇場版『コードギアス 復活のルルーシュ』(2019)を観る。テレビ版1期2期はアニメとしての悲劇で歴史に残る作品だったが、続編の本作でハッピーエンドは本当によかった。テレビ版は完璧に終わっていたので本作は余計じゃないかと正直疑っていたが、期待を超える出来だったな。ルルーシュの活躍、あれがもう一度観られるとは。ラスト、C.C.(シーツー)のうれしそうな顔といったら、もうそれだけで感動した。ルルーシュ、隅におけないな。
 テレビ版の登場人物たちのその後が描かれていたのも、じんときた。本作ではちょろっとしか出てこなかったけれど、シャーリーって生きていたんだな。ルルーシュ、ちゃんと電話したのね。あー、ほんとに観てよかったわ。調べてみたら、テレビ版のダイジェストとして作られた劇場版三部作では、シャーリーが死なないんだな。それの続編ってことか。なるほど、その点で評価が割れているのね。テレビ版の ifルートとして楽しめ、ってのがかしこい。テレビ版は、とにかくあまりにもつらい悲劇だったから。僕も、本作のラストの C.C. の表情がすべて派だな。