こともなし

晴。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第六番K.284(ピリス、参照)。■ハイドン交響曲第九十六番(バーンスタインNYPO 1973)。■ウェーバークラリネット五重奏曲op.34(ロンドン・メロス・アンサンブル、参照)。この曲、結構な数録音があるのだよなあ。気楽に聴ける曲ですね。
2015年初夏・夏_1
またアライグマが天井裏に入り込んでいる。繁殖でもされたら大ごと。早く何とかしないと。これって、犬山の日本モンキーセンター(なぜにモンキーセンターにアライグマ?)から逃げ出したのが増えたらしい。迷惑至極。

ツイートのゴミ置き場と化したブログの、例外なくつまらないこと。以前巡回していたブログで、残念なことに目を通さなくなったのが幾つかある。まあ、僕が twitter と相性が悪いからいけないのだが。まあ、またそのうち見るかも知れないから、アンテナはそのままにしてあるけれどね。
しかし、最近の自分のルサンチマン塗れはどういうことだ。我ながら腹立たしい感情が沸きすぎて、最低の凡夫というしかない。何でそんなに怒っているの? ですね。まだまだ修行が足りなさすぎる。
腹立ちついでに書いておくか。以前、まさしく知識人と呼ぶに相応しい中井久夫氏が、日本のいいところとして言論の自由を挙げていたが、こんなに急速に言論の自由がなくなってしまうとは、驚いてしまう。こういうと第三世界に対する差別発言かも知れないが、第三世界の中でも人権抑圧国並みになってきた。マスコミの報道に対し、政府がマスコミを呼びつけるというのか如何に異常な行為だか、日本人にはわからないのだろうか。やりたい放題だな。こんな政府があと四年間かそこらも続くのか。経済はよくなるかも知れないが、それとこれとを引き換えにしていいのか、自分には強烈な疑問が湧いてきている。経済政策の正しさ一点で安倍政権を支持した(投票したわけではないが)のは、もしかしたら大変な間違いだったのかどうか、そこいらがわからなくなってきた。確かに、誤った経済政策は、現実に少なからぬ人々を直接間接に殺しさえする。反リフレ的だった頃の日銀と日銀総裁は、殺人罪を犯したも同然である。それに加担した民主党政権の罪も同様。というのは問題ないのだが、そこからだな…。少なくとも、自分の人物判断力がまだまだ足りなかったのは事実のようだ。それは、「思想」の力がいまだ充分でなかったことによる。「思想」の大切さは知っているつもりだったが、とことん考え尽くしていなかったのだ。時代の思想軽視のトレンドから、自由になりきれていなかった。もう一度考えなおしである。

激おこぷんぷん丸 - Wikipedia
マジメに分析しすぎて笑える。