加藤典洋『僕が批評家になったわけ』再読

晴。
昧爽起床。澁澤龍彦に先導されて、大きな建物(美術館?)の中をすごい速さで廻っていく夢を見る。速すぎて家族がついてこれないのだが、最後一緒になれてよかった、というところで目が覚める。

NML で音楽を聴く。■バッハのパルティータ第三番BWV827 で、ピアノはジョゼフ・フリートウッド(NMLMP3 DL)。■ラヴェルの「序奏とアレグロ」で、ハープはウルズラ・ホリガー、チューリッヒ室内管弦楽団NML)。

 
中沢さんを読む。
午前中、肉屋。スーパー。

昼寝。

ブラームスのピアノ協奏曲第二番 op.83 で、ピアノはクラウディオ・アラウ、指揮はパウル・クレツキ、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団NML)。1959年のライブ録音。インスタントコーヒーを飲みながらめずらしくスピーカーで聴いていたのだが、途中でヘッドホンに切り替えてマジメに(?)聴いた。こんな古い曲を、古くさい演奏でよろこんで聴いている自分は何なのだろうなとかぼーっと思いながら聴いていた。

Claudio Arrau: Brahms 2

Claudio Arrau: Brahms 2

ブラームス弦楽四重奏曲第一番 op.51-1 で、演奏はシネ・ノミネ四重奏団(NML)。
Complete String Quartets

Complete String Quartets

 
日没前。
加藤典洋氏を再読していたところ、老母が散歩してこいとうるさいので、行ってくる。

ウチの裏にある白バラ。


犬を連れている人が多い。わたしは人のいない方へ歩くルール(?)なので、どっちへいくか詰んだりする。

加藤典洋『僕が批評家になったわけ』再読。すごくおもしろかった。初読のときむっちゃむかついたのだが、わたしはむかついたり腹が立ったものは重視するという悪い癖があるのだ。多少の秀才なら、加藤典洋氏の論旨はむちゃくちゃで、お話にならないというか、むちゃくちゃすぎて、反論のしようがないくらいだと思う。そんなことを書くと証拠を見せろと言われそうだが、わたしもチンケな秀才なので、無意味ながらちょっと指摘してみよう。第二章第七節「科学論文」という節で、加藤氏は小林秀雄と数学者・岡潔の有名な対談を題材にしている。そこで加藤氏は、「先のゲーデルの定理は、無矛盾性の公理体系ではその無矛盾性の証明ができないことを述べていたが、それから一歩進めて、岡は、無矛盾性が数学的に証明されたとしても、そして数学としては矛盾がないと語られても、その無矛盾性を数学者が納得できない。頭ではわかっても感情としてどうしてもピンとこない」(p.105)と述べる(強調引用者)。ちょっと解説しておくと、たぶん加藤氏は御存知ないであろうがこれは集合論の破綻のことで、ある意味では加藤氏の理解ほどは大げさなことではない。あまり適切ではない表現になるかも知れないが、集合論で、上に決まっていることが「下」、下に決まっていることが「上」と証明されてしまったのである。まあこれもある意味では、加藤氏の仰るとおり、「感情」としてピンとこないといっても間違いではないけれど。さて、ここでわたしが「感情」と強調したのは、加藤氏がこれに詐術を含ませているからである。そのあとで、加藤氏は小林秀雄の「わかりました。そうすると、岡さんの数学の世界というものは、感情が土台の数学ですね」という発言を引く。ちなみに岡は、これに「そうなんです」と返している。加藤氏はこの二つの「感情」という語をまったく同一視し、あとは壮大な(?)誤解の世界に踏み込んでいく。加藤氏の妄想は本書で読んでもらうとして、ここでの小林秀雄の発言の意味は、岡潔の数学は、寒々とした抽象的な世界では考えることができない、そうではなく、例えば日本の春の、美しい桜の景色がもたらす感情が、養分となって育つようなそれだ、まあそんなような意味である。これは、もとの対談をふつうに読めばわかることであるが、加藤氏は意図的にかそれとも知識あるいは読解力がないためか、コジツケ的解釈に陥っているのだ。
 とわたしがやったのは、どうでもよい揚げ足取りである。ついでにちょっとだけ指摘しておけば、加藤氏には「小林秀雄コンプレックス」とでもいうべきものがあるのは紛れもない。これは、加藤氏を理解する上でどうでもよいことではないとわたしは信じる。加藤氏は、あらゆる機会を捉えて、小林秀雄の誤り、存在の無価値を証明したいのだ。けれども、小林秀雄を全面的に否定もできない。そこいらは、かなり明瞭に本書からも読み取れると思う。上の文章のあとで、加藤氏は「『わかる』『ありありと心に感じる』ということ、実感するということをこれ以上遡行できない明証性の最終点、足場、原理の中の原理、とみなす小林のこのようなあり方こそ、そこから一切の真理が生まれてくるとする『形而上学』と呼ばれるべきあり方の誤りの始点なのではないか」(p.106)などと書いてしまうが、この文章の当否とは別に、これが加藤氏の小林秀雄理解の核心がはからずも露呈してしまった場所として、記憶されるべき文章だと思う。そもそも、「小林秀雄形而上学」という理解が、なかなかにユニークというか、わたしのような凡庸な小林秀雄の読者からすると、あるいはたんに小林を読めていないだけなのではないかという誤解すらもってしまうところではあるまいか。ちなみにわたしはもちろん、小林秀雄はむしろ反形而上学的であると見做している。単純化がすぎるかも知れないが、小林の『本居宣長』は反形而上学の書と見做してもそれほどおかしくはあるまい。
 とか、ついどうでもよいことを書きすぎたが、わたしには加藤典洋氏はあくまでもおもしろいのである。例えば本書の支離滅裂なまでの話題の跳躍。始めは、加藤氏の「柄谷行人コンプレックス」の話かと思うと、徒然草へ飛び(ここでも小林秀雄批判)、三島由紀夫へ飛び、寺山修司へ飛び、渋谷陽一へ飛び、林達夫へ飛び、アンディ・ウォーホルへ飛び、荷風へ飛び、武田百合子へ飛び、明川哲也へ飛び、高嶺剛へ飛び、松田優作へ飛び、芥川龍之介へ飛び、…もういいだろう、わけがわからないくらいである。少し常軌を逸している気もするが、まあよい、しかしそこには、確かに「深さ」の才能を感じずにはいない。ここでわたしも理不尽な跳躍をしたいと思うが、わたしは加藤氏ははなはだ「インターネット時代のための批評家」ではないかと思う。これには何の根拠もないのだが、現在加藤氏を支持するのはどこか「反インターネット的な」感性であるようにも見えるので、指摘しておきたい。「インターネット的」だからこそ、いま若い人たちに読まれ始めているのだと思うし、加藤氏の批評家としての生命力も感じるのだ。ちなみに、若い世代から強い支持を受ける東浩紀氏も、加藤氏の「深さ」を賞賛・肯定していることを付記しておこう。
 先にも書いたが、わたしはむかつく人は読むことにしている。そこにわたしの弱点があることがわかっているから。その意味で、これからも、特に文庫化の機会を俟って加藤典洋氏を読むことであろう。そんな風に思っている。

僕が批評家になったわけ (岩波現代文庫)

僕が批評家になったわけ (岩波現代文庫)

なお、本書の文庫解説はわたしの好きな源一郎さんであるが、解説として失敗していると思う。いつもどおり親切であるが、源一郎さんにしてはおざなりではないか。源一郎さんは加藤氏を大切に思っているのだから、もっと力を込めて書くべきではなかったかと思う。どうも、最近の源一郎さんはわたしの理解を超えてしまっているようにも見えるのだが。


以下は加藤氏とは関係がない。わたしはいま「ありありと心に感じる」=「形而上学の始点」という理解を読んで、ああと思うことがあった。わたしは、わたしなりの意味でだが、「ありありと心に感じる」というのは、形而上学だけでなく、我々の喜びも悲しみも、すべてがそこから発してくる始点なのだと考えているのだなと気がついた。まあこれは言い方としては多少心理的であり、正確ではないとも言われようが、そういう誤解はいずれにせよ不可避である。いまわたしが読み返している西田哲学なら、あるいは純粋経験とでもいうかも知れない。さて、その「ありありと心に感じる」というのであるが、何よりも記号に雁字搦めになっている現在では、なかなかにむずかしいことなのである。記号はともすれば、「ありありと心に感じる」ことを殺してしまうのだ。それが小林秀雄の警告のひとつであったとすれば、反・小林秀雄の立場というのはなかなかに厄介なものであることがわかる。加藤氏が体現するように、現在では反・小林秀雄の立場こそ正しいと見做されている。「ありありと心に感じる」=「東洋的無」と見做せば、そこに東洋の死を重ねることもできよう。