ハイデガー『存在と時間(三)』/古市憲寿『誰も戦争を教えてくれなかった』

日曜日。曇。
音楽を聴く。■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第八番「悲愴」op.13、第十番 op.14-2(ギレリス)。「悲愴」はまさしく「鋼鉄のピアニスト」の面目躍如。第十番はちょっとテンポが遅いかな。これは意外に柔軟な演奏。■ベートーヴェン交響曲第一番op.21(ティーレマン)。ティーレマンベートーヴェンを聴いてみる。取り敢えず第一番を聴いてみたが、単純に伝統的な演奏とは云えないと思った。伝統は継承しつつ、新しさもあると云えるだろう。偶々同時期にベートーヴェン全集が発売されたおかげで、シャイーと比較されるが、それは確かに意味があると思う。まだあまりティーレマンに慣れていないのだが、とにかくスケールは大きい。それは大したもの。それからここでは、ウィーン・フィルは意外と乾いた音をしている。

Beethoven: the Symphonies

Beethoven: the Symphonies

マーラー交響曲第三番(シャイー)。この曲は、個人的にはマーラーの中で一番ピンとこないそれなのであるが、シャイーの指揮は明解。ここでもマーラーとの相性のよさが目立っている。
マーラー:交響曲第3番

マーラー:交響曲第3番


ハイデガー存在と時間(三)』読了。熊野純彦訳。全巻完結を俟って、もう一度通読する必要があるだろうな。図書館から借りてきた、古市憲寿『誰も戦争を教えてくれなかった』読了。おもしろかった。注目の東大大学院生が、日本と世界の戦争博物館を巡り、戦争について考えるという趣向の本である。これも最近注目されている、ダークツーリズムの実践とも云えるだろう。もちろん自分も戦争を知らない世代なので、まずは知らないことが多かった。共に戦争体験を大げさなまでに鼓舞する、中国や韓国の戦争博物館の話が殊におもしろい。でも、地元の中国人、韓国人の若者たちは、そんなものにあまり興味がないのもおもしろい。ヨーロッパの戦争博物館は、歴史を大切にするメンタリティから予想されるとおり、きちんとしたもの。それに対し、日本の戦争博物館は、一部を除きあまりやる気が感じられないようなもので、それはわかる気がする。日本人は歴史をあまり大事にしない。先日もあったが、歴史的資料を意図的に廃棄する国である。後世の歴史的評価に委ねるという姿勢に乏しいのだ。
 著者は戦争博物館は、もっとエンタメ性を強めてもいいという考えだ。とにかく、人に見てもらわなければ仕様がない。日本のそれは、淡々と歴史的遺物を展示するという、地味なものがほとんどで、インパクトも思想もないと。
 それから、著者の考察で、これからの戦争は無人化・機械化されていくだろうというのは、洵にそのとおりだと思う。戦争が機械同士のものになれば、我々はどういう言葉で戦争に反対するのかという著者の問いは、鋭いと思った。もっと簡単に戦争が起きるようになるのか。しかし自分は、人間の血が流れなくなることはないような気がする。殺さなければ、戦争をする意味がなくなるから、殺すと思う。そういうものではあるまいか。嫌だね。
 それから、付録のももクロとの対談は爆笑。でも、彼女らはバカだが、ゆずれない基本的なところは、自分よりもしっかりしているなと思った。そこが大切なのではあるまいか。
誰も戦争を教えてくれなかった

誰も戦争を教えてくれなかった


攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG 06 を観る。第十一話は感傷的。初期義体の女の子は少佐なのか。ふーん。と思ったら、第十二話では急展開。これはどうなるのだ…
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で、アマゾンのレヴューを見ていたら、えっ、第十一話って伏線になっていたのか! 第五話から繋がるらしい。気付かなかった…


2013年夏・秋_78