『ブレイク詩集』/森茉莉『父の帽子』

休日。晴。
音楽を聴く。■マーラー交響曲第一番(シャイー)。今風に、ナチュラルに演奏されたマーラー。ここまでのものを創り上げるのは、そう簡単ではないだろう。ただ、元気いっぱいなのはいいが、ちょっと陰影に乏しいような気もする。シャイーの感性が今風なのはいいので、あとはモダンをどう身につけるかということだろう。まあ、そうするとシャイーの特徴がなくなってしまうかも知れないが。むずかしいところだ。

マーラー:交響曲第1番「巨人」

マーラー:交響曲第1番「巨人」

ホロヴィッツ〜ベルリン・コンサート1986。シューマンクライスレリアーナはミス・タッチの嵐ではあるが、演奏会全体は悪くない。スクリャービンエチュードショパンマズルカが素晴らしく、特にスクリャービンの op.8-12 は、ホロヴィッツにしか弾けない圧倒的な演奏である。これがこのコンサートの最高点だろう。ショパンポロネーズは、聴衆は喜んでいるが、明らかにやり過ぎ。アンコール三曲はいい出来です。
 しかし、浅田彰さんの「ホロヴィッツは打つことを知っている」というのを思い出したね。上手いことを云うものだ。
ベルリン・コンサート1986

ベルリン・コンサート1986

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第四十一番K.481(ムター、オーキス)。

『ブレイク詩集』読了。寿岳文章訳。森茉莉『父の帽子』読了。著者の処女作と云っていいだろう。父である鴎外の回想録がメインだが、本書は(当り前だけれども)文豪の子供の手遊びなどではない。まさしく文学に他ならないのである。鴎外と殆ど関係のない「夢」という文章には、感銘を受けた。日々が夢のようであるという感覚は、自分にも近しい。また、鴎外を回顧する文章では、鴎外はとても魅力的な人間に見える。実際、そうだったのであろう。観潮楼における文学的な集いでは、気持ちのいい笑いが絶えなかったようである。
 最初に書いておくべきだったが、著者の文章は、華麗というかハイカラというか、独特の魅力を持ったものである。これも文豪の娘である幸田文とは正反対のタイプの文章だが、共に父親の文章、いや、雰囲気もあろうが、それらが生み出したものとして、興味深い。また、著者には、殆ど病的なまでの感覚の繊細さがある。これは才能であろう。
父の帽子 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

父の帽子 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)


極東ブログ「秘密保護法案について」。「ツワネ原則」というのは知らなかった。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2013/11/post-25f5.html