中山茂『パラダイムと科学革命の歴史』

雨。
父が妙なことを始めたので、内職まがいのことを長時間する。仕事もあって疲労困憊。疲れたー。本を読む時間もなかった。

山形浩生氏の大変勉強になり、また考えさせられるエントリー。
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20130626/1372241359
こういうことを書かれるので、好き嫌いはともかく、山形氏はフォローしていないといけない。日本でも(というか、世界のどこでもまだそこまではいっていないのだが)そのうち、いわゆる「3K」の職業が大卒より高給取りになるかも知れない。皆、きつい、きたない、きけんな職は、求人していても勤めたくないよね。自分も、今の職がなくなったらどうしようかと思う。根性なしなので、なかなか「3K」の職は選べないだろうな。でも、どうしようもなくなるかも。以前何かで読んだのだが、高原野菜を作ってとても稼いでいる農家でも、働き手がいないので、外国人を雇うしかないというところがあるという。うーむ。
※追記 id:SHADEさんから頂いたコメントや、上のエントリーを読み直して思ったのだが、ことは「3K」というよりも、肉体労働、手作業、単純な反復作業、工場労働等々というのが問題なのか。高度な技能が必要でも、手作業ならば敬遠されるということもあるか(縫製というのもそうだよね。これ、収入はどうなのだろう。イタリアでの縫製は、高給を得ているのか)。とにかく、皆「ホワイトカラー」になりたいのだな。大卒、大学院卒というのは、そういうことですか。うーん。(AM1:09)

中山茂『パラダイムと科学革命の歴史』読了。ここ数日読んでいた本。断続的に読んだので印象が拡散しているが、とても硬派な本なのに面白いこと夥しかった。科学史というか、科学というものそのものを学問の対象にしている。とりわけ、第四章「近代科学の成立と雑誌・学界」、第五章「専門職業化の世紀」、第六章「パラダイムの移植」が刺激的だった。著者が補章で述べていることだが、科学革命に対して持ってきた「通常科学」という概念に注目したい。制度になった科学と科学者たちがやっているのが、「通常科学」である。パラダイム(著者と同じく、敢てこの語を使いたい)を替えてしまうのは科学革命であるが、それは滅多に起きない。科学者は普通、科学に対してささやかな「進歩」を捧げるだけである。そして、今ではそれこそが「科学」なのだ。著者がまさしく、この「通常科学」こそトマス・クーンの導入した最重要概念だというのも頷ける。
 また、第六章の「パラダイムの移植」の対象は基本的に、西洋から科学を輸入した、明治以降の日本の「科学」である。著者の口調はじつに辛口極まりなく、ちょっと日本の「科学者」たちが気の毒になってしまうくらいだが、まあ仕方あるまい。しかし、著者がまた云うように、西洋が日本を知っている十倍以上、日本は西洋のことを知っているというのも真実なのだから、そんなに自らを卑下するばかりでなくともよいのではないか。そんな風に感じる。(AM2:45)

パラダイムと科学革命の歴史 (講談社学術文庫)

パラダイムと科学革命の歴史 (講談社学術文庫)