恫喝に屈して、果して平和が得られるのだろうか

恫喝に簡単に屈服する国、日本、か。こんなこと、明治以降にあったのかね。平和のためこれが一番の策だったかは、必ずしもそうは云えないと思う。実力行使すれば屈服する国、ということを見せつけてしまったからだ。歴史上には、例えばヒトラーの恫喝に屈したイギリスの例などがすぐ思い浮かぶ。今回の中国の態度は、これと大差ない。それでも国民は、菅政権を支持するのだろうか。かなあ。
 「極東ブログ」なんかは冷静である。菅政権は始めからさっさと船長なぞ返しておけばよかったという意見だ。そうしなかったので、中国も強硬策に出ざるを得なかった、ということらしい。アメリカ側から安保条約の履行の言質を取ったことで日本は実利を得たのだし、(これでも)早めの釈放で、中国側は恩義も感ずるだろう、ということである。こう考えるべきなのかな。ふーん。
 結局、普通の日本人の感覚なら「国辱」と思うだろうし、消息通みたいな人なら、極東ブログのように考えるのだろう。外国人の反応も同じような感じで、一般人なら日本は極端に弱腰だと思うだろうし、外交ゲームに通じている人なら、日本の対応は遅すぎたくらいに思うのだろうか。それはともかく、一般の中国人の反応を(勝手に)憶測すると、日本の大衆の一人としては、何だか嫌な感じなのは否めない。こんなことをされて、隣人だと思えるか、というようなものである。極東ブログ的な考え方だと、日本はこれで自国のメンツが潰されたなどとは思わずに、中国のメンツを忖度してやれ、ということになるのだろう。実際極東ブログは、中国漁船の領海侵犯などというのは珍しくもなんともないもので、中国政府の「困惑」がわからず、徒に事を大きくした菅政権は困ったものだというようなことを、はっきりと述べている。こういうのを、「大人の対応」というのかも知れないが。
 しかし、たとえ菅政権の初期対応が誤っていたとしても、中国が恫喝し、日本が屈服したという(大衆レヴェルでの)事実は、やはり残るのではあるまいか。そしてこれは、日本人の対中国感情に、また中国人の対日本感情に、何の波紋も残さないだろうとは、これまた云えないのではないか。

追記

9月25日付けの「極東ブログ」では、今回の中国の対応は異例のものだと云っている。前日付けの記事では、ありふれたものだと書いているのに。こういうのを「見苦しい取り繕い」というのではないか。中国内部の権力闘争などというのは、ど素人の自分でも直ぐに思いついたことであった。同記事では傍証も挙げているが、憶測そのものであり、見通しの甘さを突きつけられて苦し紛れに書いたようにしか取れない。まあ、どうでもいいことではあるが。
 しかし、他人のブログなんかを読んでいて、むらむらと湧き上がってくるものがある。政治の話というのはピストルをぶっ放すようなものだが、さりとて、自分は「沈黙は金」とも思わないのである。政治は人を翻弄する。優雅に傍観者を決め込んで、それで事態が引き返せなくなるところまで行ってしまっては遅いのである。大衆の中の一人として、考えるべきことは沢山ある。「普段の生活をこなしていくだけ」というのを、考え違いしてはダメだと思う。それを声高に発するかどうかというのは、また別の問題だ。声は低くてもいい、いや、そうであるべきだろう。(9/25記)