河合隼雄『中年クライシス』

河合隼雄『中年クライシス』(isbn:4022641134)読了。
ユングはこのような人々に会い、また自分自身の体験をも踏まえ、中年において、人間は大切な人生の転換点を経験すると考えるようになった。彼は人生を前半と後半に分け、人生の前半が自我を確立し、社会的な地位を得て、結婚して子どもを育てるなどの課題を成し遂げるための時期とするならば、そのような一般的な尺度によって自分を位置づけた後に、自分の本来的なものは何なのか、自分は『どこから来て、どこに行くのか』という根源的な問いに答えを見いだそうと努めることによって、来るべき『死』をどのように受けいれるのか、という課題に取り組むべきである、と考えたのである。太陽が上昇から下降に向かうように、中年には転回点があるが、前述したような課題に取り組む姿勢をもつことにより、下降することによって上昇するという逆説を経験できる。しかし、そのような大きい転回を経験するためには、相当な危機を経なければならない、というわけである。」

池澤夏樹

池澤夏樹南鳥島特別航路』(isbn:4101318123)読了。日本列島の自然を訪ねて、普通ではちょっと行きにくいようなところへ行っている旅の記録。ここ暫く枕頭の書としていたもので、自然の香りが漂ってくるような本だ。本の題名にもなっている「南鳥島特別航路」や、「雨竜沼、湿原の五千年」の章が、浮世離れしていて特にいい。
「かつて山暮らしは一つの文化だった。山菜の採りかたや時期、採ったものの処理、狩の技術、木の実の食べかた(クルミやクリはそのまま食べられるが、アクの強いトチなどは手間をかけてアク抜きをしなければならない)。夏は炭焼き、渓流のイワナ釣り、秋になればキノコ採り。ブナの林は実に多くの実りを用意して人間と動物たちを養ってきた。そういうものすべてが失われてしまった。それどころか山そのものがなくなろうとしている。古いものが消えてゆくことを単なるノスタルジアから哀惜しているわけではない。千年がかりで作られた知識の体系が失われようとしているのは、ちょうど大きな図書館が燃えているのを見るようなもので、いかにももったいないと思うのだ。」

戦国仏教

湯浅治久『戦国仏教』(isbn:9784121019837)読了。
「…戦前から戦後を通じて、ごく常識的に唱えられてきたこうした鎌倉仏教観は、現在、大きな修正を迫られている。それは古代以来の八宗(いわゆる南都六宗と天台・真言宗を指す)を中心とする顕密仏教こそがじつは中世の主要な仏教である、という主張による。鎌倉仏教などは、顕密仏教の社会における影響力を考えると、せいぜい顕密仏教の異端の一つにしかすぎないというのである。」(p.4-5)
「それでは鎌倉仏教が自立した存在となり、社会に影響力をもつようになるのはいつかというと、それは戦国時代である。日蓮親鸞の教説が一定の社会的基盤をもって民衆社会に受容されるようになるのは戦国時代であり、それ以前の南北朝から室町時代、それらは延暦寺の一門流にすぎず、接しうる人々はごく一部の人に限られていた。」(p.8-9)
「中世は成立期には比較的温暖だが、鎌倉時代から間歇期をはさみ、室町期以後長期的な寒冷期に入るという指摘がある。そしてこれに加え、飢饉や災害が頻発した不安定な社会であったという。」(p.13)
筒粥神事。下吉田の小室浅間神社の「この神事は小正月の夜、粥に二四本の筒を入れ、入った粥の量で農作物のできや富士山へ参詣する道者の数の多寡を占う神事である。またこれに先立ち、オキズミ(燠炭)の神事と呼ばれる『テリフリ占い』が行われる。これは照り・降りを占う神事である。」(p.191)