戦国仏教

湯浅治久『戦国仏教』(isbn:9784121019837)読了。
「…戦前から戦後を通じて、ごく常識的に唱えられてきたこうした鎌倉仏教観は、現在、大きな修正を迫られている。それは古代以来の八宗(いわゆる南都六宗と天台・真言宗を指す)を中心とする顕密仏教こそがじつは中世の主要な仏教である、という主張による。鎌倉仏教などは、顕密仏教の社会における影響力を考えると、せいぜい顕密仏教の異端の一つにしかすぎないというのである。」(p.4-5)
「それでは鎌倉仏教が自立した存在となり、社会に影響力をもつようになるのはいつかというと、それは戦国時代である。日蓮親鸞の教説が一定の社会的基盤をもって民衆社会に受容されるようになるのは戦国時代であり、それ以前の南北朝から室町時代、それらは延暦寺の一門流にすぎず、接しうる人々はごく一部の人に限られていた。」(p.8-9)
「中世は成立期には比較的温暖だが、鎌倉時代から間歇期をはさみ、室町期以後長期的な寒冷期に入るという指摘がある。そしてこれに加え、飢饉や災害が頻発した不安定な社会であったという。」(p.13)
筒粥神事。下吉田の小室浅間神社の「この神事は小正月の夜、粥に二四本の筒を入れ、入った粥の量で農作物のできや富士山へ参詣する道者の数の多寡を占う神事である。またこれに先立ち、オキズミ(燠炭)の神事と呼ばれる『テリフリ占い』が行われる。これは照り・降りを占う神事である。」(p.191)