曇。
朝、風呂を洗う水が冷たくなった。とうとう十二月か。
スーパー。また天ぷらがなく、マックスバリュへ。
値上がりしていないものがないというくらいの有り様で、家計を圧迫している。インフレを実感する。
何か眠いけれど県営プール。
泳ぎ終わっても何か眠い。泳いでいる間は眠くなかった。
運転していて見かけた自転車の女子高生が、制服のスカートの下に紺のジャージズボンを穿いていて、だよねーと思った。寒いもんな。それから、マツダのワインレッドのスポーツカーが信号で止まっていて、オープンカーだ、曇り空に寒そうだなと見ていたのだが、追い越したときチラッと目をやったら、運転者がしわくちゃの田舎のおじいさんだったので、オッと思った。わたし、何かの偏見があるかねえ。
夕飯は鱈ちり。今年もついに鍋の季節になる。
日々わたくしのさらなるバカ化が進行している。アニメを観てばかりいるせいかな。ちがうかな。眠い。
夜。
「ハヤテのごとく!」第20話まで観る。U-NEXT で小津安二郎でも観ようかと思ったが(ウソ)、やっぱり幼児向けアニメを観るわたし。わたしはマリアさん推しである。釘宮病、かつてL型を発症したが、N型は別にそうでもないな。
藤本和子『ブルースだってただの唄』
曇。
NML で音楽を聴く。■バッハのブランデンブルク協奏曲第二番 BWV1047、第三番 BWV1048 で、指揮はジョン・バット、ダニーデン・コンソート(NML、CD)。■ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第一番 op.18-1 で、演奏はプラジャーク・クヮルテット(NML、CD)。
昼からミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。カスタードクリーム+ブレンドコーヒー440円。
藤本和子『ブルースだってただの唄』の続きを読む。副題「黒人女性の仕事と生活」。コーヒーを二度おかわりして読み続ける。わたしごときには語れない書物。ブローティガンの訳者がこれほどシリアスな書き手だったとは。様々な黒人女性への聞き書きである。大学まで出た人から、夫の浮気相手を殺害した最下層民まで。
藤本和子『ブルースだってただの唄』読了。斎藤真理子さんの解説がすばらしく、わたしに何もいうことはない。わたしも森崎和江を、読んでみようかと思う。
藤本和子『塩を食う女たち』(岩波現代文庫)、森崎和江『からゆきさん』(朝日文庫)をネット注文する。
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今日は外気17℃で、十一月も終わるのに充分暖かかった。しかし今夜から急に冷え込むようなので、ふとんを厚めのものに替える。
ジョナサン・フリードマンのような人類学者は「古代の奴隷は単に資本主義の古い形であった」と主張しているが、それに対してわれわれが、はるかに難なく主張できるのは「近代的資本主義は単に古い奴隷制度の新しい姿である」ということである。つまり今日では、誰かがわれわれを売ったり貸したりする代わりに、われわれが自分たちを貸し出しているのだ。と、デヴィッド・グレーバーは言った。おれは働きたくない。
黄金頭さんのブログエントリからの引用であるが、こう切ってしまうとわからないと思うけれど、これを読んでわたしはつい笑ってしまった。しかし、何ともそのとおりすぎて、それは笑えないのかも知れないけれど。
夜。
「落第騎士の英雄譚」(2015)第5話まで観る。アホくさ。でもこういうの、慣れてきた笑。
クセノフォン『ソクラテスの思い出』
雨。
午前中、うとうと。
昼からごろごろ。
随分苦しみましたにょ。
電気屋さん来る。食器洗浄機の「故障」、じつはいつも「スピーディー」を選択して洗っていて、それがよくなかったとのこと。これからは基本的に「標準」ってのでやるように云われた。故障ってわけではなかったのね。
クセノフォン(クセノポン)『ソクラテスの思い出』読了。解説を読むと、プラトンとクセノフォンのいずれが歴史的なソクラテスの実像(周知のとおり、ソクラテスは著作を残していない)を描いているかということが、学者の間では問題になっているそうであるが、まあ、一般人にはそんなことはどうでもいいよね。プラトンでもそうだが、クセノフォンでも、ソクラテスはほんとに理屈っぽい。議論で相手を追い詰めて屈服させる、つまりは論破する。わたしなどは、理性の暴力を感じる。それをやりすぎて恨まれ、ソクラテスは不当に訴えられて死刑になるわけであるが、それがまた後世の評価を高くした。人によっては、ソクラテスは嫌いという人だっていると思う、というか、わたしなんかは正直そういう感じを受ける。あまりにもソクラテスは立派すぎ、さらにはその高潔さを他人に強要してくるのだ。しかし、そんなことをいう自分が、なさけない人間だというのも確かで、忸怩たるものもある。クセノフォンに描かれるソクラテス、わたしにはどう受け取ったらよいか、迷わされる。
クセノフォンの著作は、かつて『アナバシス』を岩波文庫で読んだ。これはおもしろい本で、「タラッサ!」(海だ)のセリフは有名。『キュロスの教育』は(古典)ギリシャ語を学ぶときに最初に読む本としてよく使われるが、わたしはまだ読んだことがない。翻訳は京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」で読めるようだ。
中村哲『ダラエ・ヌールへの道』を読み始める。副題「アフガン難民とともに」。ここには正視すべき真実がある。その真実は、極めて多くの偽善を明らかにせずには済まない。古風なサムライが語っている。
神原一光『ピアニスト辻井伸行 奇跡の音色』
曇。
ウチの裏に大きな木蓮があるのだが、その落ち葉を掃き集める。近所迷惑になるので。
スーパー。今日はうどんに添える天ぷら、ありました。
昼から米屋。餃子の王将。肉屋。
雪虫たくさん飛ぶ。
雨。
NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ第六十番 Hob.XVI:50 で、ピアノはワルター・オルベルツ(NML)。ハイドンは(当たり前だが)モーツァルトでもベートーヴェンでもないので、カッチリとした、形式的で清潔なところと、それと同時にやわらかいところとの両方が必要なわけだが、これはそれがきちんとわかっている演奏。ハイドンらしさがよく感じられる。
ブログ検索してみたら、わたしのもっているハイドンのピアノ・ソナタ全集の CD BOX はオルベルツじゃないですか。感想が 2012.5.16 にちゃんと書いてある。過去のわたし、なかなかやるな。ちなみにオルベルツはソロでの録音はハイドンくらいで、あとは「伴奏もの」がほとんどというピアニストらしい。■ハイドンのピアノ・ソナタ第六十一番 Hob.XVI:51、第六十二番 Hob.XVI:52 で、ピアノはワルター・オルベルツ(NML)。よい。■ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第五番 op.18-5 で、演奏はプラジャーク・クヮルテット(NML、CD)。■ミェスチワフ・ヴァインベルク(1919-1996)のクラリネット・ソナタ op.28 で、演奏はデュオ・カロス(NML)。
夜。
図書館から借りてきた、神原一光『ピアニスト辻井伸行 奇跡の音色』読了。NHK のドキュメンタリー番組から生まれた、スピンオフ本とでもいうか。辻井君を12年間指導した、川上昌裕さんという方がいたという話。この先生がいたおかげで、辻井君の唯一無二の個性が創られたことを知って、感銘を受けた。まさに全身全霊をかけた「指導」だったといってよいと思う。それを引き出したのも、辻井君の gift だといって、川上さんはたぶん怒らないだろう。やはり奇跡的な個性が生まれるのには、それにふさわしい出会いがあるのだなと感じ入った。わたしはもちろん、辻井君はいま世界で最高のピアニストのひとりだと思っていますよ。ということは、以前にも書きました。人気がある、もてはやされているからといって、フェイクではないことも(稀には)あるのです。
YouTube で辻井君のピアノをいろいろ聴く。下は公式が上げている動画。ショパンのピアノ協奏曲第一番終楽章。
youtu.be
こともなし
日曜日。晴。
食後の洗い物はわたしがやっているのだが、それで利用している食器洗浄機がどうも壊れたらしい。温水が出なくなった。ので、修理を依頼する。しかし、日本製の食洗機なのだが、結構早く壊れたぞ。
ベルクの室内協奏曲
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十八番 ショパンの練習曲集 op.25
夜。
「ハヤテのごとく!」第16話まで観る。
「映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-」を観る
曇。
NML で音楽を聴く。■シューベルトの「さすらい人幻想曲」 D760 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル(NML、CD)。昨日からこの曲が頭の中でぐるぐる回っていたので。わたしは最初ポリーニの演奏でこの曲に目覚めたのだが、このリヒテルの録音が決定盤だと思う。リヒテルはいま聴かれているのか知らないが、この人はたぶん23世紀のピアニストだ。
■バッハのブランデンブルク協奏曲第一番 BWV1046 で、指揮はジョン・バット、ダニーデン・コンソート(NML)。
昼飯の、シメジとツナの炊き込みご飯(バター入り)、めっちゃうまかった。秋だなあ。大根の味噌汁もわたしの大好物(田舎者)。
晴。珈琲工房ひぐち北一色店。
藤本和子『ブルースだってただの唄』を読み始める。副題「黒人女性の仕事と生活」。わたしとしてはゆっくりと読んでいる。
図書館の返却期限なのですべてネットで延長しようとしたら、阿部和重の新刊短篇集に予約が入っていたので、返さねばならなくなる(まだ半分しか読んでいない)。ということで、日没時、図書館へ。
土曜日なので、市民公園には人が出ていた。戸外で勉強している高校生たちがいて、おもしろいことをするなと思う。駐車場の脇にある冬桜、今年も咲く。雪虫飛ぶ。
■ショパンのポロネーズ第一番 op.26-1、第四番 op.40-2、第五番 op.44 で、ピアノはマウリツィオ・ポリーニ(NML、CD)。1975年録音。
夜。
「映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-」(2018)を観る。完結篇。あー、このシリーズ、最高だった。こんなラブコメに感動して、マジ恥ずかしい。脳内が中学生から進歩してないな。駆け落ち?で京都、東京、北海道などと各地を廻るのが楽しい。クライマックスは青函連絡船*1ですよ。周りの仲間たちの役もよく考えてあって、それも満足。結局、あいかわらず仲の進展しない二人をくっつけてやろうという話でした。六花が恋と(中二病の)アイデンティティの相剋に悩むというところが、バカバカしいようだけれど真剣に描かれていて、でもこれ、普遍性がちゃんとあるよね。勇太に惹かれれば惹かれるほど中二病の恥ずかしいことができなくなっていくところは、ほんとかわいくも切なかった。
こともなし
晴。いい天気。もう十一月も終わりだというのに、暖かい。
スーパー。不満を書いた「お客様の声」を投函してくる。
昼。
ごろごろ。
イオンの「BLACK FRIDAY」でネット注文していた老父用の飛騨の日本酒を、イオンモールまで取りにいってくる。
夕方、散歩。
無意識を涵養する。
俺ダメだにゃーって感じ。死亡。
夜。
U-NEXT で「グレタ・トゥーンベリ 世界を変えるメッセージ」第1話を観る。BBC STUDIO 制作(2021)。
https://video.unext.jp/title/SID0071209
グレタさんを冷笑・嘲笑する人は多い。特に日本では多くの知識人が、気候変動問題に対して楽観的、あるいは冷笑的である。それが「科学的な」態度だと信じているのだ。若い人たちの抗議も、日本では盛り上がらない。SDGs なんてものは、よく知っているのにな。しかし、世界の趨勢はそうではない。圧倒的に多くの科学者が気候変動は喫緊の問題であり、余裕はもう少ないことを認めている。
グレタさんの、「希望がなくても行動することはできる」という言葉が印象的だった。「行動しなければ変わらない」と。我々は怠惰だ。怠惰でめんどうくさがりなわたしは、いったいどうしたらよいのだろう。