こともなし

曇。

起きて昨日作っていた「エディタ付きライフゲーム」のリファクタリングをする。実行画面はこんな感じ。
20180409130544
 
洗濯。

丸亀製麺イオンタウン各務原にて昼食。あさりうどん+イカ天710円。あさりがたっぷりでおいしかった。

動画を作ってみました。

 
面会。今日から本格的な治療が始まった。いそがしかったよう。

気のせいかもしれないが、近所の好奇の目みたいなのがめんどうくさいね。


夕食。菜の花のサラダ、冷奴、高野豆腐、缶詰のさんま煮、ハム、冷凍カレーコロッケ、なめ茸など。

エディタ付きのライフゲームを実装

晴。
早起きしてしょうもないネットを見ているという(笑)。昨晩は寝る前すごく眠かった。

椹木による日本なる「悪い場所」の概念はもちろんネガティブなコノーテーションをもっているわけだが、本当にそれは「悪い」だけなのだろうかとも思う。確かに「忘却と反復」、よいことではないかも知れない。しかし、耐え難いほどつらいことがあっても我々は生きていかねばならない。国が滅びても人は生活していかざるを得ないのだ。特にいまや、ふたたび「悪い場所」が召喚される必要性が増している、そんな気もする。

義弟と甥っ子たちが来てくれたので、大人数で面会。皆んなありがとう。

ココス北一色店にて昼食。プレミアムハンバーグ リッチスタイル トリュフソース。
妹一家帰る。


yomunel さんのところがリニューアルされたな。何か出版社のウェブサイト上みたいで、モダン。って Linux Mint でさらに ChromeAdblock を使って見ているのだが、Windows だとどう見えるのか知らないけれども。メイリオは場合によっては悪くないけれども、これであんまりブログを読みたいとは思わない。Windows 10 とかはどうなのかな。フォントは Windows よりも Mac とか大抵の Linux ディストリビューションの方がいいと思う。大人っぽい(?)感じ。

豆腐を買い忘れたのでスーパーへ。でも MV のとうふは(高いのを買ったのに)ぶよぶよであまりおいしくなかった。いつものところで買っておくべきだったな。

夕食。鱈ちり、ぬた、アスパラガスを茹でたもの。もう僕が作るのは当り前になったようで、父は仏頂面をして食ってござった(笑)。


頑張って Ruby でエディタ付きのライフゲームを実装した。
エディタ付きライフゲーム(Ruby) · GitHub

椹木野衣『震美術論』

今日も曇っている。
ちょっと空疎感があるので、大悲で心を満たすようにする。これが心の土台だ。基本が大事なのである。

洗濯。晴れてくれないかなあ。

お昼御飯。こんな写真ばかりでごめんなさい。

ほうれんそうのバター炒め。ハムを焼いたもの。ポテトサラダ残り。妹に目玉焼きと味噌汁を作ってもらいました。なかなかよくね? ウチの味噌汁確かにうまい。
でも、父には悪いけれど、普段お昼まで作るのはちょっと大変なのだよなあ。後片付けも面倒。面倒とかいうなって? まあ仕方がないのですよ。

面会。家族四人で話す。治療が始まるまではちょっと中休みという感じ。元気で妹も多少安心したろう。いつものとおり、夕御飯について相談する。そればっかりですね。
帰りにスーパー。


今日の夕食。こんな写真ばかりなので、まあいいかげんにした方がいいかな。

牛肉とワケギを炒めたもの。アサリの酒蒸しは妹が作ってくれた。苺。自家製のサニーレタス。なかなかよろしかった。

図書館から借りてきた、椹木野衣『震美術論』読了。椹木は確かに大変優れた才能ある美術批評家であると思うが…。本書でも言いたいことはよくわかる。もしかしたらまったく的を外した感想かも知れないが、しかしアートというのは、どうしてこう幼稚くさいのか。椹木ほどの人でもこんなものなのか。もちろん幼稚であっていけないのか、むしろアートは幼稚さを積極的に保存するという存在で、幼稚だからこそ意味があるということは言えるだろう。しかし、東日本大震災を扱う本書を読んでいて、どうもちがうという無意味な感想が浮かんできて仕方がなかった。自分には、アートは言葉にすぎないと感じられる。「すぎない」という言い方は、あるいはまちがっているかも知れない。ある意味では、すべてが「言葉」なのだから。しかしここでは、そういう井筒俊彦的な意味ではなく、その語を悪い意味で使う。言葉言葉言葉。饒舌で多弁な言葉ばかりだ。真の沈黙など、どこにもない。

震美術論 (BT BOOKS)

震美術論 (BT BOOKS)

まあ、いまの特殊な精神状態がそう思わせるのかも知れないのだが。というかきっとそうなのだろう。しかし、そう感じてしまったのは確かである。で、アートなどどうでもいい、下らぬものなのではないかという気がどうしてもした。けれどまた一方、人間など下らぬ存在なのだから、それでいいような気もする。とにかく、椹木みたいな優秀な人というのは面倒くさいのだ。

こともなし

曇。のち小雨。

ちょっと Haskell に熱中している。僕はやり出すと際限がないので、いいかげんにしておかなくてはならない。
掃除洗濯。洗濯物が多いのに曇っている。そのうち雨かも。

丸亀製麺イオンタウン各務原にて昼食。釜玉うどん並+イカ天+エビ天620円。結構おいしかった。元気が出た。
ドラッグストアに寄る。


面会。入院前と比べてそれほどやつれたという感じもない。父と三人でいろいろ話す。病院食はまずいらしい。話を聞いていると本当にマズそう。基本的にすごく薄味らしいし、それに大量の(?)ご飯が付いてくるそうなので、さすがにそれは全部はムリである。体力をつけないといけないので我々としては食べてというべきなのかも知れないが、そもそも本人がよくわかっていることなので言わない。僕も食いしん坊なので、気持ちはすごくわかる。
さて、いよいよ月曜日からは治療だ。かなりつらいということなので、できるだけサポートしようと思う。

いつもエレベーターを降りると独特の匂いがする。病室では感じないが、あれは何なのだろう。ちなみに病院は建て替えられてまだあまり日が経っていなくて、外も中もピカピカである。徹底的にコンピュータ化してあるし。本人の腕にバーコードのタグが付いていたりとか。すごいものだなと思う。

夕方、妹が来てくれた。雨。

今日の夕食。

豚しゃぶしゃぶ。ウチでは「常夜鍋」と呼んでいる。豚肉とほうれんそうと豆腐を、大根おろしにポン酢と七味で食べるもので、シンプルで飽きがこないから一晩中でも食べられるというような意味らしい。かんたんでうまかったです。三人で食べたので楽しかった。家族みんなで食べられるとよいね。


しかし、どうでもいい話をするというのが極めて大切なことなのだな。身にしみてわかった気がする。

診断

晴。
遅く寝たのだが、5時くらいに起きてしまう。


ハイドンのピアノ・ソナタ イ長調 Hob.XVI:46 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル


ペルゴレージの「スターバト・マーテル」。自分の知るかぎり、もっとも清らかで美しい音楽。この演奏は原典版ということで、切り詰められた簡素な編成であるが、この曲の精神にもっとも近づいたといってもよいのではないかと思う。まったく極美の音楽だ。


ベートーヴェン弦楽四重奏曲第九番 op.59-3 で、演奏はオライオンSQ。ベートーヴェンはすばらしいな。この曲などこれまで何十回聴いたかわからないのに、昔と同じように感動させられる。フィナーレはちょっと泣けたよ。たぶんベートーヴェン弦楽四重奏曲が最高峰だと思う。どれも本当に名曲ばかりだ。


シューマンの「幻想小曲集」op.12(抜粋)で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル

大垣。ミスタードーナツ大垣ショップ。ホットスイーツパイ りんごとカスタード+エンゼルフレンチブレンドコーヒー526円。Haskell 本を読む。ちょっと Haskell をやってみるかな。ひさしぶりに見たらまあまあできそう。でも Haskell はとりわけ変った言語だから、ちょっと書き方がまだよくわからない。

帰りに吉野家岐阜六条店。牛丼並+たまご440円。毎日吉野家の牛丼でいいという人がいるが、僕はまあそこまでではないけれど、時々食べたくなる。何がうまいのだろうね。不思議である。
 
芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行』を読む。

ヨコハマ買い出し紀行 (8) (アフタヌーンKC (1120))

ヨコハマ買い出し紀行 (8) (アフタヌーンKC (1120))

ヨコハマ買い出し紀行 9 (アフタヌーンKC)

ヨコハマ買い出し紀行 9 (アフタヌーンKC)

 

面会。今度から治療をしてもらう先生の話がある。ほぼ以前聞いていたとおりだが、最後の方は本人の体がかなりつらくなるとはっきり言われた。しかし、目標が達成できれば悪くない。かなり大変だが、治療をお任せするしかないということをいう。楽観はできないが、希望はそこそこある。もうあとはやってみるしかない。

帰りにスーパーに寄る。


今日の夕食。

刺身、ぬた、ほうれんそうのおひたし、アスパラガスを茹でたもの、ポテトサラダの残り、杏仁豆腐。結構おいしかった。アスパラガスは畑のもの。ちょっとずつ慣れてきたな。
火野さんの番組を観ながらご飯。沖縄のきれいな海。いいな。


本を読もうかと思っていたのだが、つい Haskell で遊んでしまった。
パスカルの三角形(Haskell) - Marginalia

こともなし

晴。
早寝早起き。起きて花粉症がひどい。


シェーンベルク弦楽四重奏曲第三番 op.30 で、コーンQ。

しばらくごろごろしていた。まだまだ未熟者と思ったり。
掃除洗濯。今日もいい天気だ。

昼食は「かつ秀」にて。味噌ヒレかつ定食1380円。結構おいしかった。


面会。管のたぐいがすべて外れた。顔色も家にいた頃よりもずっとよい。それから、検査の結果が出て、治療の方針がわかった。まったく予想どおり。まあよい結果ではないのだが、もっと悪いことも想定していたので正直言ってホッとした。これからは本来の病を直す段階である。まだ先にはなるが、帰宅して通院の見込みも出てきた。うん、少し気が晴れたよ。

ドラッグストアに寄る。


本日の夕飯。

冷凍ハンバーグ、ポテトサラダ、ほうれんそうのおひたし、菜の花の和物。冷凍ハンバーグ以外は作ったぞ。結構うまかったぞ。ほうれんそうと菜の花はウチの畑で採れたものである。それに、これまでは味もあまりわからないような雰囲気だったが、今夜はなかなかよろしかった。おいしく頂けました。ごちそうさま。

ドラゴンズようやく一勝。父も機嫌がよい。


だらだらとネットを見る。しんどいとき、ネットには救われた。親近感をもっているブログ等が特に。あとはプログラミング関連だとか、下らないサイトもよい。

鮎川信夫『詩集 難路行』

曇。今日は晴れる筈だったのだけれどな。洗うものがたくさんあるので困る。
極めて変(というか変態的?笑)な夢を延々と見る。何であんな夢を見たものかな。かなりはっきりと覚えている。少しノスタルジックなところもあった。

このところ本も読んでいないし音楽も聴いていないので、自分の顔に不満。澁澤龍彦石川淳の読書を美容術(?)と見做す考え方に賛同していたが、わたくしも同じ考えである。三日本を読まなければ士大夫失格、であったか。まさしくいまのわたくしは士大夫失格である。

心が音楽を欲しているところがある。

モーツァルト交響曲第二十九番 K.201 で、演奏はコンセルトヘボウ室内管弦楽団。なかなかいい演奏。美しい音楽が書かれてしまったものだな。よくもこういう音楽が人間から生まれたという気がする。


ベートーヴェン交響曲第七番 op.92 で、指揮はイヴァン・フィッシャー、コンセルトヘボウ管弦楽団。俗な曲で普段はあまり聴かないが、何となく聴いてみた。冒頭の導入部でいきなり感動する。ベートーヴェンの根源的な生命力に触れた思いがした。聴いてみたらやはりまあ俗な曲だったが(笑)、湧き上がってくるような生命力はさすがにベートーヴェンである。こういうのを永遠の古典というのであろう。演奏はいまよほどの名演でも驚かない精神状態なので何だが、フィッシャーの指揮は渾身のものといっていいのではないか。コンセルトヘボウ管の上品さをよく活かしているし。ちょっというなら第三楽章、終楽章などは、すばらしいけれど本来ならもっと下品に演奏していい曲。それにしてもレヴェルが高いな。いまだとこれでも CD にならないのだろうな、たぶん。クラシック音楽、聴かれないものな。

父はいつものボランティアへ。
洗濯。今日は寝間着など洗い物が多い。幸いよく晴れてきた。


ひさしぶりにひとりで昼食なので、町の定食屋「3 pigs」へ行く。ここは若い夫婦ふたりでやっている小さな店で、僕は昔から好感をもっているところだ。あまり繁盛しているわけではなく、今日も昼時なのに前に二組しかいない。けれども店はもうだいぶ長く続いているから、なんとかやってはいけているのだろう。以前からよく注文する自家製ハンバーグステーキ1100円をたのむ。ここは調理はひとりなので、多少時間がかかるところが好まれないのだろうか。おおきたきたという感じで食べてみると、どう思ってもやはりふつうにおいしい。何にも余計なことはしていないけれどもね。サラダなども文句はない。まあ行列のできる人気店にはならないだろうけれども、しかしこのままそこそこのホテルの昼食にだって出せることは明白である。ふーんという気持ち。これから外食が増えるから、時々はここへこよう。

面会。エレベーターで父とばったり会う。なので二人で。母は昨日よりももう少し元気になってきたようだ。顔色は相当よくなった。口もだいぶ早口になってきた。我々の食事を考えているようで、いろいろ話した。料理についてや持ってくるものなどをメモ。
ちょっと心配なのは父である。元気がない。帰ってからわかったのだが、まだお昼ごはんを食べていなかったようだ。どうも味噌汁が食べたかったようでよくいく定食屋みたいなところへ行ったら、すでに営業時間が終わっていたらしい。で、どこかで食べてくればよかったのにそのまま面会にきたようだ。帰ってから3時半頃にカップ麺を作っていた。うーん、いかんなあ。しっかりして欲しいのだが。

スーパーで買い物。

日没前、散歩。

 

夕食は買ってきてもらった餃子と野菜炒め、菜の花の和物、ほうれんそうのおひたし、納豆など。父と話すことないねえ。というか、父が気詰まりなようでテレビを見ていろいろ言っても黙っていることが多い。まあ前からそうだったけれど。やはり食べ物がいきとどかないこともあるかなあ。「これで充分」とばかり言っている。昔から「おいしい」とか滅多にいわない人だったし。
テレビで野球を少し観る。ドラゴンズは弱いなあ。

図書館から借りてきた、鮎川信夫『詩集 難路行』読了。暗い詩集である。老いた孤独な老人の徹底的にネガティブな詩。自分はこれまで鮎川信夫をまったく読んだことがなく、予備知識もほぼ0だから、そんな風にでも受け取るしかない。けれども、それは自分にまったく違和感がなく、自分の中にすっと入ってくる。自分も孤独な老人になったら、このように万事ネガティブに暮らすかも知れない。そのように思う。
 けれども、本書の最後に、吉本さんの文章を載せたぺらっとした紙が挟んであった。全部で四ページの短いものであり、「最後の詩集」と題されている。どうやら、本書は鮎川の最後の詩集であり、この紙は吉本さんによる本書の解説のようなものらしい。これがすばらしいものだった。自分の中で鮎川信夫に対するイメージが一気にふくらんだ。まあこれに関しては自分はこれ以上いうことが無理である。鮎川信夫吉本隆明ももっと読んでみたいものである。吉本隆明にいわせると、本書は鮎川信夫の抒情詩集だそうである。『宿恋行』以後、鮎川信夫は本当は抒情詩しか書いていないと。

詩集 難路行

詩集 難路行

それにしても吉本さんの解説を読んでいると、自分が「読む」といっているのはただ活字を追っているにすぎないとつくづく思う。