こともなし

晴。とてもいい天気。
意図的に寝坊する。今日ぐらいからできるだけふつうの生活になるようにしよう。

掃除洗濯。
プログラミングのブログを書いたり。だらだら。

うどん「恵那」にて昼食。恵那ころ蕎麦。
ドラッグストアで買い物。

面会。頼まれ物をわたす。顔色がだいぶよくなり、声も少し大きくなった。まだ多少不愉快なところもあるらしいが、もう前のような不愉快さというかつらさはなくなったようだ。すでに多少歩かされるようである。今日は立って歯を磨いたとのこと。さてももっと個室にいられるとよいのだが、空きがないかもしれない。
たまたまえらい先生の訪問。母いわく「大名行列」。確かに。

スーパーで買い物。
父は夕方、仕事。


夕食。昨日のカレーの残りに買ってきたカツをトッピングする。まあまあだった。買ってきた出来合いの「里芋の煮転がしとイカを炊いたお惣菜」はあまりおいしくない。それよりも残り物のほうれんそうのおひたしがまだおいしい。やはり新鮮な緑のものが食べたくなる。ジャーマンポテトの残りは半分食べて少しだけ廃棄。ちょっと食べるものが多すぎたくらいだった。

夕食後、父と鶴瓶の番組を観て笑う。北川景子、美人ですねえ。


今日の夜はずっとこれを書いていた。没頭して風呂に入るのが遅くなってしまう。いかんいかん、ガスがもったいないと、母になら叱られるところだ。

妹帰る

日曜日。曇。
早寝早起き。

この一週間走り続けてきて、昨日一段落して落ち着いた感じではある。でも自分でわかっているが、自分としてはこういうときがいちばんあぶない。今日も多少いろいろあるが、できるだけのんびりして過ごそうと思っている。妹が帰ったらごろごろしていよう。

洗濯と風呂掃除。ちょうど一時間。まだムダな動きが多いけれど、別にむずかしくはない。すぐに慣れるだろう。

カレーの下拵え。これも見ていてもらいながらやったけれど、特にむずかしくない。30分くらいで終了。あとは余熱で火を通して、食べる少し前にルーを入れればよいそうである。


面会。昨日我々が行ったあと熱が出たらしく、また薬のせいで吐いたりしてあまり元気でなかった。そんなにひどいことではないよう。いずれにせよ、もう今日から動かないといけないらしい。しかし、いままで我慢していたところはかなり楽になったようだ。もう少しよくなるということ。

スーパーで買い物。

妹に見てもらいながらホットプレートで焼きそばを作る。これもむずかしくない。多少キャベツが少なかったり鰹節をもっとかけたりするとよかったが、ふつうにおいしかった。

妹帰る。自分も助かったし、母も心強かったろう。しかし何といっても父。父に関しては助かった。ありがとうといっておく。
こういうときに(陳腐な言葉だけれど)家族の絆を感じる。自分が新しい家族を作れなかったのが残念である。しかし、恵まれた家族の一員なのだなと痛感する。マジやべえよ。


面会。頼まれ物を届ける。先ほどよりよほど顔色がよい。ふたりでぽつぽつしゃべって、意外と長居してしまった。

さて、これで少し時間ができた。しばらくもうごろごろするつもり。


夜はカレー。少し水が多かったかな。父でふたりでカレーなど食べていると、あっという間に食べ終わってしまう。何かつつくものを出さないといけないなと思って、ほうれんそうのおひたしの残りを出す。思ったよりまだ水っぽくなっていなくて食べられた。しかし、父とはあんまり話すことがなくていけないねえ。テレビニュースくらいは一緒に見て話す。

手術

晴。
昨晩は中沢さんのサーカスについての文章を読んで寝た。わりとよく眠れた。何か今までとまったくちがう夢に行っていて、起きて一気に現実に引き戻される。どういう夢だったのかはまったく覚えていないのだが。起きてしばらくそのギャップが埋められない感じだった。

手術。言われていた時間より多少長引いたが、まあそれも想定の範囲内。術後の先生の話も予定どおり終わりましたとのこと。あとは検査の結果を待って、本格的な治療が始まることになる(といいなあ)。それにしても、妹がいてくれて精神的には相当に助かった。こういうのはとにかく待つことばかりで、待つことが仕事みたいになるが、妹といろいろ他愛もない話を延々としていた。父もだいぶ救われていたと思う。

うどん「ひらく」にて食事。天ぷらうどん。帰宅してとりあえず休憩。

昼から言われたものを届けに面会。もうかなりしゃべることができるようになった。こちらの食事のことを話したら、母もそれをずっと考えていたようで、妹を交えて長いこと話す。自分はとにかく「さっと湯がく」とかそれって何秒ですかというところなので、昨日も妹に見てもらいながら自分でやったのだが、今夜と明日の午前中、妹に見ていてもらいながら食事を作ることになる。なるほど、普段食べているもので意外と簡単なものもたくさんあると気づいたり。というわけで、向こうの家のことを第一になのだが、妹は明日までいてくれるようだ。助かる。

スーパーで買い物。

妹に見てもらいながら自分で作った。練習のためもあって、かなり多めの品数を作りました。

ほうれんそうのおひたし、ぬた、塩サバ、ジャーマンポテトジャーマンポテトは妹のすすめで、iPad を見ながら作りました。見ていてもらったせいが大きいと思うけれど、自分でもどれもおいしくできたのでよかった。明日はカレーを見てもらう。

「少しづつお湯に入れていく」とか「塩コショウする」とかがいちばん困る。10秒間隔ですか?とか 0.25g ですか?とか訊きたくなる。こういうことが教えてもらえるのがありがたかった。

入院

晴。
昨日は思っていた以上に緊張していたらしく、なかなか寝付けなかった。

自分としては早起き。で、母に教わりながら洗濯をする。まだ手際はよくないけれど、まあパソコンより簡単だな。明日からは書いて貼ってもらった紙を見てやろう。

父が味噌汁がどうのとか炒め物がどうかとかいうので、母と一緒に笑ってしまう。料理は少しづつやるつもりだけれど、いっぺんには無理ですよと。当分は御飯だけは炊いて、あとは買ってきた出来合いのものが中心になるだろう。昼は外食でね。しかし、お父さんだなあって。50年間家事をこなしてきた人といっしょになるわけないじゃないですか。

でも、菜の花の湯がき方くらいは訊いておく。
 

バッハの管弦楽組曲第三番 BWV1068 で、指揮はヘルムート・ヴィンシャーマン。

入院手続き。その後すぐに医師からの説明があって、明日の午前中の手術が決まる。速い対応でありがたい。思い悩んでいるヒマもなく進んでいくので、却って助かる。今どきなので本人が大量に同意書を書かねばならないが。訴訟対策ということだろうな。

帰宅して父とうどん「恵那」へ。恵那ころ蕎麦。疲れているが、食欲はある。
スーパーで今夜のお惣菜を買う。


明日行くつもりだったのだが、無理になったので県図書館へ。ちょっと億劫だが已むを得ない。どうもそうではないかと思っていたとおり、休館日だった。読みさしの本も含めすべて返却ポストに入れてくる。どうしてもぼっとしがちなので、運転にはなるたけ気をつけるようにする。あと、慣れた道にする。

ガソリンスタンドで給油。コンビニで手帳を買う。

多少落ち着いたら下らぬことをしようと思う。小ざかしい本も読み、下らないツイッターも見よう。あんまり深刻ばかりになっていると却ってこちらがよくない。


夜、妹が単独で来てくれた。かなり経験のある看護師だったので、心強い。一緒に母のところに顔を出す。
三人で家で食事。父も嬉しそうだった。きっと母も加えよう。

母に付き添って大きな病院へ

晴。
もう桜が散り始めている。ほんの一週間ほどなのだな。


シューマンのピアノ四重奏曲 op.47 で、演奏はノートス四重奏団。第一楽章がいまの季節にぴったりで聴きたくなった。ノートス四重奏団というのは知らないが、どうやら弦楽四重奏団ではなく、ピアノ四重奏のためのカルテットのようだ。ピアノ・トリオのためのはあるけれど、これはめずらしい。なかなかいい演奏が繰り広げられていて、楽しませてもらった。第三楽章にホロリとさせられたのを見ても、自分は本質的に Romantiker だなと思う。


モーツァルトの弦楽五重奏曲第四番 K.516。演奏者たちはまったく知らないが、過不足のない、お手本のような見事な演奏。何の不満もなかった。いずれ名のある実力者たちに相違あるまい。曲は終楽章とかちょっと忘れていて、おやこんなところがあったのかなどおもしろく聴けた。第一楽章は短調だが、決して希望のない曲ではない。


丸亀製麺イオンタウン各務原にて昼食。とろ玉(大)+いか天+えび天790円。おいしいのだけれど、汁はここまで旨み成分を利かせなくてもいいと思う。もっと醤油っぽくてもいい。口に残るのでおそらく化学調味料だと思う。グルメではないから化調はダメとかいわないが、ほどよく使うほうがいい。あとで水が飲みたくなる。

外は本当にいい天気。

昼から母に付き添って大きな病院へ。いろいろ検査ののち、結果は最悪一歩手前くらいのきびしいものだった。しかし絶望でもないよう。明日から入院。しかし、このまま放置していたらと思うと、先日思い切って大阪へいったのはよかった。今日もまったく率直な話が聞けてそれもよかったと思っている。病院の対応もしっかりしていて、また後日などという対応でなかった。そして、びっくりするような偶然があった。今日診てもらった先生が僕の高一のときのクラスメートだったのだ。僕はまったくわからなかったし今でも思い出せないが、僕の苗字とあとハスキーボイスでわかったというから驚かされる。そして、先生はまたちょうど母の病気のあたりがずっと専門だったとのこと。幸運の先触れだと思いたいところである。

重い話を書いてすみません。でも、先日書いたとおり、何が書けるかわかりませんが、ブログの更新は続けるつもりです。ここは自分の家みたいなものなので。どうかよろしくお願いします。

これから当分基本的に自分が家事らしきことをするつもりなので、母からいろいろ教わる。いずれにせよ、面会のときにメモ帳をもっていって、少しづつ訊くつもりである。

僕もしっかりしていたつもりのようでいろいろ言われたことが多すぎて、肝心の病名が正確に思い出せない。明日聞かないといけない。やはりちょっとぼっとしていたな。

柴田克彦『山本直純と小澤征爾』

晴。

昨日 Go言語で書いたコードに手を入れたり、Ruby に移植したりしていた。検索などしてみると、N-queens 問題を解くものとしてはかなりうまく書けたのではないかとちょっとうれしい。コードが短くてまずまず高速だと思う。

ちなみに 8-queens 問題というのは、チェスの盤面(8×8)に、8個の「女王(queen)」の駒をお互いに取られない位置に置くというものである。チェスの「女王」は将棋の飛車と角をあわせたようなもので、前後左右斜めにどれだけでも進めるというものだ。N-queens というのは、その盤面が N×N になり、置く女王も N個になる。Nが大きくなるにつれていわゆる「組み合わせ爆発」が起こり、解の総数が膨大になっていくという特徴がある。ちなみに 8-queens での解の総数は 92個である。

Ruby だとこんなコードになる。

def get_space(field)
  result = Array.new(N, true)
  l = field.size
  field.each_with_index do |qn, i|
    result[qn] = false
    dst = l - i
    result[qn - dst] = false if qn - dst >= 0
    result[qn + dst] = false if qn + dst <  N
  end
  result
end

def solve(field)
  if field.size == N
    @count += 1
    puts "------------------"
    puts "n = #{@count}"
    field.each {|qn| puts ("." * (N - 1)).insert(qn, "@")}
  else
    get_space(field).each_with_index {|sp, i| solve(field + [i]) if sp}
  end
end

N = 8
@count = 0
solve([])

ツバメ来た! 毎年巣を架ける古いアパートの入り口へ飛び込んでいったのを見た。覗いたらすごい勢いで飛び出してきましたよ。ここってあるツバメの世代が子孫へ受け継がれているのか、関係ない個体なのか、ずっと昔からである。

図書館。市民公園とか新境川堤とか、桜が満開なのでたくさん人が出ている。駐車場の空きがないかと思った。



 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。シナモンリング+アイスコーヒー378円。『山本直純小澤征爾』という新書本を読む。山本直純という人は真価がよく知られていないけれど天才だったという話と、山本直純小澤征爾の友情についての話。ご多分に漏れず自分も山本直純ってのはおもしろおかしい人なのかなくらいの認識だったが、どうもそうではなかったと。まさに毛並みの正しい音楽の天才。また小澤征爾も「天才」はそうなのだけれど、「努力の天才」ということで、小澤自身、直純は自分よりはるかにすごくて、対抗心などあり得なかったと言っているそうである。実際小澤に最初に指揮を教えたのは直純だったらしい。まだ少ししか読んでいないけれど、感動の連続である。さても、小澤というのはどうもものすごく人なつっこいひとらしく、彼の前に次々に「運が開けていく」のも、それこそ運と才能のためだけではなかったのだと感じる。

フードコート、既にちょっとエアコンが効きすぎ。


図書館から借りてきた、柴田克彦『山本直純小澤征爾』読了。感動的な本だった。本書を読むと、山本直純という人がもっと知られていいというのは当然な気がする。音楽というのは美しく楽しいものだと、そして全身全霊をかけて付き合える存在であると、そんなような音楽観をもっていたような人である気がする。小澤征爾という人はそれとはだいぶちがうようにも思えるが、その二人が堅い友情で結ばれていたというのが不思議である。少なくとも小澤は、音楽に関してはかなり堅苦しい人で、マジメ一方の人だから。で、自分も含め、やはり小澤みたいな人がえらいとつい思ってしまうわけで、山本直純が晩年は次第に忘れられつつあったというのは、さみしいことだと思った。どうもごめんなさいという感じである。山本直純は残した曲が4000曲以上といい、これからは少しづつでも聴いていけたらなと思う。いい本でした。

山本直純と小澤征爾 (朝日新書)

山本直純と小澤征爾 (朝日新書)

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最後の一文を読んで思わず目頭が熱くなってしまった。これは僕は Ruby が好きだからだけではあるまい。まあどんだけ Ruby 好きなんだよと思うくらい好きではあるが。17歳のときに「僕の理想の言語」を(いまでは失われた)ノートに書いたときからいまでも変わりなく、まつもとさんは「プログラミングが楽しい」のだ。だから25年間 Ruby の開発を続け、52歳になり、さらに次の25年に臨もうとしていると。まだ Ruby は死んでいないと。僕も初心者ながらプログラミングが好きで、これは何なのかよくわからないけれど、「プログラミングは楽しい」というまつもとさんの気持ちは少しはわかる気がする。ホント、ただプログラムを書いてそれが動くだけで、何が楽しいのだろう。でも、ここには独特の愉しみがあることは確実である。それが悪いものだとは、どうも自分には思えないのだ。

しかしまつもとさん、そんなに悲観しなくてもいいのではないかとも思うけれど。この魚拓を見ると、最新のインデックスで Ruby 悪くないよね。記事も Ruby の再トップ10入りの話から始まっていて、この上昇はホンモノじゃないのという分析である。まあ、Ruby の人気はよくも悪くも Rails の影響が強すぎるので、僕はそれは仕方がないと思うけれど、それで Ruby のすばらしさがともすれば忘れられるならつまらない。Ruby がすばらしいから Rails があるのだというのはわかるが。

僕は最近 Go がなかなかいいと思っているのだけれど、まだこんなランクですか。Java が一位だが、あれはお仕事むけの言語という気がする。C# とかは自分のような初心者でも使いやすいけれど、個性に乏しいし、何より Windows 向けだな。特に使おうというモチベーションがない。C言語は初心者が使いこなすのはむずかしいけれど、このところちょっとわかってきた。ちょっと C で書きたくなってきた。PythonRuby とガチンコでぶつかっていて、Python の優位は揺るがず、さらに差がついている。でも正直言って、Ruby を使うわたくしにはまったく使うモチベーションがない。優れた言語だけれど、僕の遊ぶ領域では Ruby の方が(自分には)明らかによい言語。しかし Python にはどんなツールでもあるのだよ。使ったら便利なことは明らか。PHP? やる気なし。文法書を読んだだけ。C++? 怖そうで使ったことがない。Swift は Apple の後ろ盾があるのに意外と伸びていないな。自分にはむずかしいし、コードの字面があまり好みではない。

と見ていると、やはり Ruby は頑張っている。世界中で確実に愛されていますよ。

↑といろいろ書いたけれど、ある言語をうまく書く人は、他の言語もうまく書くことが多いよね。ということが最近少しわかってきた。チューリング完全性を備えた言語は、原理的にはどれでもやれることは同じだし。だからアルゴリズムを勉強することは大切なのだよね。そして、様々な言語をうまく使う人は、ある言語のクセを見抜くことも早いようである。僕が Ruby に感じるのは、Ruby はプログラミングのロジックを「自然に」書くための柔軟性が際立っているということである。そしてコードが簡潔で読みやすい。余計なことを書かなくて済むようになっている。逆にいうと、「余計なこと」をいっぱい書いてコードの安全性を高めるというアプローチもあって、最近はそちらの流れの方が人気がある。必要なプログラマの絶対数が多くなってきて、経験の少ないプログラマが安全なコードを書かねばならぬ時代になってきたからね。それに、チームで「製品」を作らねばならないし。ビジネスですよ。Ruby はそのあたりが弱そうに見られているので、コアの人たちが頑張っているのだ。ってエラそうに書いたけれど、自分は初心者です!

桜を見るため散歩

晴。


バッハのパルティータ第一番 BWV825 で、ピアノはエミール・ギレリス


バッハのフランス組曲第五番 BWV816 で、ピアノはエミール・ギレリス。いくら何でもジーグは速すぎるな。指が回りすぎるのだ。でも全体としては悪くない。

小ざかしい本とかツイッターとかいまはあまり気分ではなくて、ひとの何てことのないブログを読んだりプログラミングのことを考えたりするのが気が晴れる。僕がブログ好きなのは、ひとのふつうの日常がそこにあるからなのかもしれない(そういうブログが好きなのである)。我々には、ふつうの日常がすべてなのではないだろうか。プログラミングは何だろうね。これは自己満足かもしれないし、何にせよ罪のない遊びである。でも、そうやって遊んでいる人はそんなにはネット上でもいない。大多数はお仕事か、学生さんなのだよね。

時間は充分寝ているのだけれどいつもより早い時刻に起きているので眠い。
昼から一時間半ほど昼寝。

今日はすばらしい天気で桜も満開なので、四日前と同じ道をイオンモールまで歩いてきた。桜を見るための一時間の散歩である。月並みだけれど撮ったのを貼ります。








ここは別に有名な場所でもないので、桜を見に来ている人も少なかった。田んぼの上にはヒバリが天高くさえずっている。通る人も稀な田舎道です。

イオンモールでは今日はドトールへ。冷たくて甘いものが飲みたかったので、アイスロイヤルミルクティーS 280円を注文する。飲み始めたら甘くなくて、ガムシロップはセルフサービスだと気づいたが、まあ面倒なのでそのまま飲んでいた。持参したのは開高健の『眼ある花々』で、これは yomunel さんの日記を見たせいである。中公文庫昭和六十一年六版、240円。100ページあまりの薄い文庫本なので読んでしまえるかと思っていたが、なつかしくてゆっくり半分くらい読んだ。開高健は自分の出発点のひとつであるが、ここから何とも遠くまできてしまったなと思う。ほぼすべての文章を文庫本でもっている筈だ。いまでは読み返すことも稀だが、読み返してみると昔と同じようにすばらしく感じる。開高健というと自分の中では何かしら「本物」というイメージなのだが、いまや本物の必要なくなった時代だ。しかし、これは確信だが、開高はこれからもほそぼそとではあろうがきっと読み継がれていくと思う。イオンモールで開高を読むというのはニセモノくさい感じもするけれど。

Go言語で「n queens 問題」を解いてみる。
obelisk.hatenablog.com