岐阜・柳ケ瀬散歩

晴。

英文学者の川端康雄さんが、『オーウェル「一九八四年」 ディストピアを生き抜くために』という本を出されたことが、新聞の読書欄に載っていた。図書館には入っていないようである。

スーパー。

さわやかな天気なので、昼から岐阜市中心部の柳ケ瀬あたりを散歩しに行く。柳ケ瀬はかつては全国的にも知られた繁華街だったが、郊外化の波に呑まれて衰退していた。さて、どうなっているかという興味もある。
コインパーキングに車を置いて歩く。
以下、美殿町商店街


老舗漬物屋。

家具屋はリニューアルしたのだな。

古書「徒然舎」。いま、岐阜の町中の古本屋といえばここだろう。ネットなどでそれなりに知られた古本屋だと思う。岐阜の古書店というと、わたしはかつて、いまはない「我楽多書房」をよく利用していた。「徒然舎」には入ったことがないので、帰りに入ることにする。

柳ケ瀬中心部。

土曜日のせいか、フリーマーケットのようなことをやっている。意外に人が出ているな。



本通りから右へ折れる。
弥生町は飲み屋街なので、昼はひと気がない。

旧長崎屋前でもフリーマーケット

見るも無惨だったレンガ通りは古いビルが壊され、アーケードも取り払われてアッケラカンとした。何もなくなったが、この方がずっといい。


岐阜高島屋前。高島屋九階の自由書房は、大手チェーンの大垣書店に替わった。ここもそのうちつぶれるのではないか。さすがに文庫本・新書本は充実していて、蓮實重彦の『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、2014)をなんとなく買ってみる。

西柳ケ瀬。歓楽街であるが、さびれているなあ。






西柳ケ瀬から引き返す。
岐阜高島屋、奥は建設中のタワーマンション

再び柳ケ瀬本通り。引退したゆるキャラやななのフラッグが垂れている。
旧自由書房本店は、マンションに替わっていた。


再び美殿町の古書「徒然舎」へ。初めて入ってみたが、結構ハイブラウな、なかなかよい古本屋だ。美術系、幻想文学も目立つ。きれいでおしゃれな古本屋という感じ。100円均一棚で、中村雄二郎上野千鶴子の往復書簡集『<人間>を超えて』(1989)の文庫本(1994)を拾う。お、ヤスケンの『へそまがり読書王』(2002)なんてのが安い。もうひとつ、物理学者フリーマン・ダイソンの『反逆としての科学』(みすず書房、2008)なんかは、古書店で出会わなければ買わなかったような本。ちなみにフリーマン・ダイソンは量子電磁気学の建設者のひとりで、ノーベル賞の三人の枠に漏れたのだが、ジャンル横断的な、特異な物理学者だった。じつは昔、わたしはフリーマン・ダイソンを訳そうとしたことがあって、個人的に至極なつかしいのである。〆て三冊購入。


街角ガイドツアーみたいなのをやっていて、二十人くらいの人たちが美殿町の歴史を説明されながら歩いていた。へー、岐阜でもこんなことをやっているのだな。今日は土曜日のせいか、思ったより元気な岐阜の街を見ておもしろかった。


夜。
『暗き世に爆ぜ』の続き。「賛々語々」を読む。せっかちに読む本ではないので、のんびりいっている。いやあ、よい句がたくさん引いてあるな。荷風の句は、なかなかいいんだな、無知である。成瀬櫻桃子の、先に亡くなったダウン症の娘を詠んだ句とか、ベタだけどこういうのにほんとに弱い。西東三鬼の「おそるべき君等の乳房夏来(きた)る」は、老母に教えられた句ではなかったか。いまの季節にぴったりで、わたしは胸をガン見するほど大胆不敵ではないのだが、白い夏服になったまぶしい女学生(死語)たちがやはり思われる。こういうのが、若さとか、命だとかいうもんではなかろうか知らん。若い頃に戻りたいとは全然思わないのだけれど。