佐々木力『科学技術と現代政治』/『日本思想という病』

曇。
佐々木力『科学技術と現代政治』読了。ちょっと古い本だが、左翼的な科学史家の立場から反原発を唱えている。自慢話も多いけれども、それはまあ愛嬌だ。著者は己をトロツキストと規定しており、それが現代においてどれほどの意味があるか、ということである。自分は、それは意外に意義があると思った。左翼的な概念は、それなりに長い年月の彫琢を経てきており、現実に斬り込む力はまだ充分にもっている。それはソ連の崩壊以後も、そしてポストモダン「後」においても、そうだと思う。自分には教えられることが多い。

科学技術と現代政治 (ちくま新書)

科学技術と現代政治 (ちくま新書)

芹沢一也荻上チキ編『日本思想という病』読了。副題「なぜこの国は行きづまるのか?」。メールマガジン「αシノドス」の連載の書籍化で、中島岳志片山杜秀高田里惠子、植村和秀、田中秀臣ら、五人の論客に「日本思想」を語らせる。面白い。個人的には、初めて読んだ中島岳志がクリアで感心した。田中秀臣はちょっと散漫なような気もするが、それでもさすがの内容。
日本思想という病(SYNODOS READINGS)

日本思想という病(SYNODOS READINGS)


またまたブラームス弦楽四重奏曲第一番を聴く。我ながらこの曲が好きなのに呆れる。実際、知と情を満たす、ロマン派の完璧な一傑作だと思う。ブラームス室内楽はすばらしいのだ。この曲がさほどポピュラーでないのは偏に、アンサンブルの難曲だからだという気がする。例えばエマーソンSQ(参照)のような、合奏なのにまるでひとつの楽器で演奏されているような、見事なアンサンブルで聞けば、ブラームスがいかに弦楽四重奏というものの限界まで、効果を追求しているかがわかるだろう。