デヴィッド・エドモンズ&ジョン・エーディナウ『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだに交わされた世上名高い10分間の大激論の謎』

雪。どんどん積っている。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第八番 op.59-2 で、演奏はベルチャQ。You Tube でこんなにいい演奏が聴けて、困ってしまうくらいだな。CD を買うモチベーションが減っても無理はないくらい。

ハイドンのピアノ・ソナタ変ホ長調 Hob.XVI-52 で、ピアノはヴァレンティーナ・リシッツァ。ハイドンのピアノ・ソナタにしては重めだが、悪くない。しかし終楽章はむずかしいね。なかなか満足できる演奏が聴けない。ついグールドの録音を思い出してしまう。ハイドンには時々こういう(広大な)曲がある。

ラヴェルの「クープランの墓」で、指揮はピエール・ブーレーズ、演奏はベルリン・フィルハーモニー。これはまた何と美しい! 知性の塊のような前衛ブーレーズであったが、いつごろからかじつに色彩感豊かな音楽作りをするようになった。これも知的でありながら、通俗的とすら言えるほど美しい。これもまたヨーロッパの極上品であろう。ベルリン・フィルは上手いに決っているのであまり聴かないが、特に管がすばらしく、やはり見事という他ない。まいりました。

リゲティの六つのバガテル。CARION(カリオン)というのが演奏家グループの名前なのかな。リゲティはいわゆる現代音楽の代表的な作曲家のひとりであるが、この曲は別に難解というわけでも何でもない。でもリゲティらしく都市的なモダンとほのかな土俗性の混淆で、さらりとこういう曲が書けてしまうところがさすがに実力者だ。なお、動画のパフォーマンス(演奏=演技)もちょっと楽しい。そうそう、それに上手いのです。

ニールセンの五重奏曲 op.43。演奏は上で聴いたカリオンで、You Tube のリストにこの動画が出てきて聴かざるを得なかった(?)。上手いアンサンブルだな。ニールセンはとてもマイナーとは言えないが、何故かあまり聴いたことがない未知の作曲家であり、こういう存在があるのはまだ先があって楽しい。もっと聴きたいね。

デヴィッド・エドモンズ&ジョン・エーディナウ『ポパーウィトゲンシュタインとのあいだに交わされた世上名高い10分間の大激論の謎』読了。有名な本であり、うわさ通りおもしろかった。ポパーウィトゲンシュタインがことさら対比されるのは、確かにそれはわかるのだが、本書の影響も強いような気がする。先に言っておくと、敢ていうなら自分はもとより「ポパー派」であろう。彼の「反証可能性」の考え方は、基本的に正しいし有用であると思ってきた。それに対し、ウィトゲンシュタインは合わない感じである。まさしく(本書によると)ポパーが思っていたように、つまらないというよりは、あまり意味のない考え方であるように思われるのだ。そしてさらに、ウィトゲンシュタインをその生みの親とする(というのは問題があるかも知れない)、現在でも猖獗をきわめている「分析哲学」が、自分にはあまりおもしろく思えない。あれはかしこい人たちの「遊び」で、ほとんど無意味な気がするのだ。しかし、本書を読んで、「分析哲学」のつまらないことは、そのことは(自分には)それほどつまらないことではないことに気付かされた。どうしていまのかしこい人たちは「言語分析」や「可能世界」などの無意味な遊びが好きなのか? それは、一種の「煩悩」と関係がある。ただ、まだそれについてはなかなか言語化できない。でも、かなりおもしろそうな気がする。つまらなかった「分析哲学」の本を、もう少し読んでみるか。
 なお、本書で有名になった「10分間の大激論」自体は、自分にはそれほど興味はない。本書では強く「文学的」な記述がなされており、通俗的なおもしろさはあるだろう。しかし、20世紀の知識人群像として本書を読むのは、これは極めておもしろかった。よく調べてあって、世紀末ウィーンの知的沸騰など、文学的な記述が生きている。本書は既に有名な本であるが、あらためてお勧めしてみたくなる、刺激的な本であった。

ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎 (ちくま学芸文庫)

ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎 (ちくま学芸文庫)

それから、自分は本書でウィトゲンシュタインの言う、一掃してしまうべき馬鹿げた「形而上学」も好きなのだなと思った。ヘーゲルなど、素人ながらもっと読んでみたいと思っている。優秀な大学人だけに哲学書を独占させていても、いいことはない。
僕は言語の「存在」というよりも、我々の内における「生成」に興味がある気がする。概念というものはどのような心理的プロセスによって生成されるのか? いわば認識論的な問題であるが、いまは認識論というのは評判がよくない。それはともかく、難解な問題だと思っている。