E・ウィリアムズ『コロンブスからカストロまで(II)』

晴。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第七番K.309(内田光子)。■バッハ:無伴奏チェロ組曲第五番BWV1011(ロストロポーヴィチ参照)。■ドビュッシー:海(チェリビダッケ参照)。これはいい。■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第一番K.279(ラローチャ)。■メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第一番op.25(ジャン=ルイ・ストイアマン、コンスタンティン・オルベリアン)。華やかないい曲。ストイアマンは腕が達者。

Mendelssohn: Piano Concertos 1/2

Mendelssohn: Piano Concertos 1/2


県営プール。暑くなってきたので、泳ぐ人が増えてきた。
E・ウィリアムズ『コロンブスからカストロまで(II)』読了。副題「カリブ海域史、一四九二‐一九六九」。本書を読み終っても、これが驚くべき書物であるという印象は変らない。ヨーロッパは、自分たちの恥と罪が克明に記録されている本書を、そう簡単に認めることはできないだろう。実際、本書は、主にアメリカで認められたらしい。
 それにしても、厳しい書物である。本巻はカリブ海域の植民地が次々と独立していく過程を描いているが、著者はそれだからといって、その過程と結果を盲目的に賛美しているわけではない。ここでも、被支配者であった者たちの過ちですら、冷静に指摘・分析してある。甘い要素というものがないのだ。
 しかし、世界史というものは恐ろしい。自分としては、日本語の中に自閉して眠ってしまいたいという誘惑を感じずにはいないが、やはりそうはすべきではないのだろうな。今の世界を一瞥すれば直ちに出てくる疑問だが、民族問題というものは、一市民がどれほど考えるべきことのなのだろうか。幸いなのかどうか、日本ではまだそうした問題はさほど全面に出てきていないが、そういうことでいいのか。いや、遅かれ早かれ、日本も「世界並み」に問題化してくるだろう。本書は奇跡的に文庫化されたが、恐らくは無視されるだろうけれど、これからの我々の試金石になるのではないか。稀有の書と云いたい。
※追記 著者に関するWikipedia


消滅集落と極点社会 & 若い女性の都会への大流出〜少子高齢化の果てに

本日のNHKの「クローズアップ現代」で、恐ろしいレポートを見てしまった。何かって、近年日本の地方では、高齢者の数が減っているのだという。え、少子高齢化で老人は増えるのじゃないのと思う人もいるかも知れないが、それは都会の話で、田舎では老人が死んだりすることにより、「限界集落」から「消滅集落」に替っているというのだ。そうなると、老人の年金にいわば頼ってきた田舎の経済も、崩壊してしまう。例えば、田舎では高齢者向けの養護施設に定員の空きが増えてきており、経営的に成り立たなくなりつつある施設もあるという話だった。
 それとリンクしているのが、地方在住の若い女性たちが、田舎から都会へ大きく流出していっているというトレンドである。これは近年顕著らしく、その理由は、これまで若い女性が田舎で働く場所は医療・介護の職種だったのだが、上記の「消滅集落」化で、働く場所がなくなってきているからだという(もっとも、理由はそれだけではないだろう。田舎は、若い女性が居て楽しい場所ではない)。以上から、これからの日本は、都市に人口が集中し、田舎が消滅する、「極点社会」になるという。
 その都会でも、若い女性たちは結婚しない。都会では現在、二〇〜四〇歳の女性の四割以上が未婚だという(男性のデータは出ていなかったが、もちろんそれ以上だろう)。出生率はだいたい1くらい。テレビに出ていた女性は、未婚の原因として、「出会いがない」と言っていた。どうして男も女も未婚なのに、出会いがないのか、不思議に思われる世代もあるだろうが、自分にはよくわかる。男も女も相手を選んでいて、「こんな相手なら独身の方がマシ」という発想になっているのだ。日本没落。このままなら不可避ですね。
 それから、本日付朝日新聞の夕刊(名古屋本社版)に、大学生で一日の読書時間が0というのが、全体の四割だとあったが、いまさら何だという感じである。僕はもう驚きません。古本は売れず、早稲田の古書店街も、二〇年前に比べ、五分の二の古書店が廃業したという。岡崎武志さんのブログに、萩原朔太郎の全集が1500円で売っているという話があったが、そんなもんです。だいたい、僕が学生の時ですら、まわりに本を読む奴はほとんどいなかったのだ。