こともなし

昧爽起床。
昨晩は安永祖堂老師を読んで寝た。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏チェロ組曲第五番 BWV1011 で、チェロは藤原真理NMLCD)。■モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第三番 K.216 で、ヴァイオリンはキム・ソジン、マンハイム・プファルツ選帝候室内管弦楽団NML)。

Violin Concertos 216 & 219

Violin Concertos 216 & 219

エルガーの「エニグマ変奏曲」 op.36 で、指揮はベルナルト・ハイティンクロンドン・フィルハーモニー管弦楽団NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第一番 op.2-1 で、ピアノはファジル・サイNML)。ファジル・サイベートーヴェンを NML で大開放とは太っ腹であるな。この曲は(最後の三つのソナタを除けば)ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中でわたしのもっとも好きな曲である。何か、ここからベートーヴェン伝説が始まるといった趣の曲ではないか。ファジル・サイはすばらしい。最初ん?と思わされるのであるが、知らず知らず涙すらにじみ出てくるような、カッコいい演奏だ。ファジル・サイはよく「ユニークな」ピアニストといわれるのであるが、そしてそれは確かにそうなのではあるが、決して奇を衒った演奏をしているのではないのである。
Beethoven:.. -Box Set-

Beethoven:.. -Box Set-

  • アーティスト:Fazil Say
  • 出版社/メーカー: Warner Classics
  • 発売日: 2020/01/17
  • メディア: CD
 
晴。
洗濯、風呂掃除。


一時間くらい散歩。少し風が冷たいがいい天気。いつもの凡庸な風景が美しすぎて、写真になどならない。テキトーに撮りました。
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もはやふつうの日本人から「土地の精霊」みたいなものに対する感受性が失われてしまったなとか思いながら歩いていた。時代遅れの人間の繰り言ですが。

老母から、文庫本をもってこいとの電話。少し元気になったようだ。

昼食は雑煮。スーパーで買ってきた餅なので少し小さかった。それに、餅菜をもっと入れたらよかったね。


今日は老父と別に面会。気分的にもだいぶ落ち着いた感じ。気分は重要なのだ。いまのところ経過は悪くなさそうなので、このままいってほしい。結構長いことしゃべったな。前に手術したところも少しづつ回復している兆候がある。

帰りに珈琲工房ひぐち北一色店。おいしいコーヒー。細野さんへのインタヴュー本の続き。細野さんはへんな人で好きだ。ナチュラルにゆるいのもいい、って、前にも書いたか。

夕方、ごろごろする。

夕食は塩ブリを焼いたもの、コウサイタイ(紅菜苔)を茹でたもの、ほうれん草のおひたし、ゆで卵。それから、妹がもってきてくれたパックの三枚肉を温めた。塩ブリは塩が薄めだったのが反省点。それから、茹でたコウサイタイはもっとしっかり水を切らないといけなかったし、卵は半熟だった。しかし、まあだいたいおいしくできたのではないか。卵はだいぶ古くなってしまったので、どうしたらよいか老母に訊かないといけないかな。

南方熊楠の「南方二書」「神社合祀に関する意見」を読んだ。中沢さんによる文庫解題「森の思想」は、100ページを超える大変な力作である。疲れて一気には読みきれなかったが。六道を輪廻する存在には、本当の意味で外部は存在しないというのはおもしろい。確かにそうだ。すべては個体に条件付けられた「幻想」を出ることがないのである。それが「外部は存在しない」の意味である。あるいは、外部は絶対に不可知であるといってもよいだろう。それがここで中沢さんの言っている、「ニルヴァーナ・マンダラ」である。それに対して、個々の幻想を産出して「現実」を構成しているのが「サンサーラ・マンダラ」であり、しかし両者には深い関係があって、お互いに対応している。

南方熊楠コレクション〈5〉森の思想 (河出文庫)

南方熊楠コレクション〈5〉森の思想 (河出文庫)

『森のバロック』をひさしぶりにそのうち読み返してみるかな。これは学生のとき読んで、とても影響された本だ。これまで何度も読み返してきた。