ポリーニの新譜、ショパン・アルバム

曇。
昨晩は深夜まで AOJ をやっていて眠い。

NML で音楽を聴く。■バッハのフルート・ソナタ イ長調 BWV1032 で、テナー・リコーダーはミカラ・ペトリ、ヴィオラ・ダ・ガンバヒレ・パール、チェンバロはマハン・エスファハニ(NMLMP3 DL)。

午前中、甥っ子の勉強を見る。

妹一家が来てくれる。皆んなで、珈琲工房ひぐち北一色店にて昼食。
面会。顔色がだいぶよくなった。午前中は微熱もないらしい。微熱は溜っている水が少し化膿してるのではないかとのこと。それほどひどいことはないようである。あとは座るとかなり痛いこと。
談話室で皆んなに面会。孫(わたしからすると甥)たちにも顔を見せる。

帰宅して少し散歩。なんかやたらいろんな鳥がいた。コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)の限界ですが。
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カワセミはしばしば見る(今日も三回くらい見た)が、滅多に撮れない(光学ズーム+デジタルズーム+切り抜きなので、粒子がめちゃめちゃ粗いですが)。キセキレイはかつてはよく見たが、最近ではあまり見なくなった。しかし、見る日は見るものだなあ。

■バッハの無伴奏チェロ組曲第一番 BWV1007 で、チェロは藤原真理NML)。

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)

 
下の甥っ子も勉強道具をもってきて、老父と勉強している。結構長いことやっていたよ。へーという感じ。

皆んなで夕食は、餃子の王将岐南店。土曜の夜なので、すごい混雑だった。やたらとたくさん注文して皆んなで腹いっぱい食った。わたしは生ビールもいただきました。義弟にごちそうになって、ありがとうございました。わいわいやって楽しく食べたので、老母も早く帰って来られるといいなと思った。

妹一家帰る。

老父が風呂を沸かそうとしたら、またわたしが風呂掃除を忘れていた。マヌケだなあ。ああ、今日は朝から甥っ子が来たから、すっかり忘れていたのだ。さっと洗って入ってもらう。

Nocturnes/Mazurkas/Berceu

Nocturnes/Mazurkas/Berceu

  • アーティスト:F. Chopin
  • 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
  • 発売日: 2019/01/24
  • メディア: CD
ポリーニの新譜落掌。2018年、ポリーニが76歳のときの録音である。50分間があっという間だった。さて、何を書こうか。
 聴いていていちばん思ったのは、ピアノの音色とそのコントロールということであった。現代ピアニズムの音色というのはミケランジェリが造り、ポリーニが受け継いだとわたしは思っているが、いまのピアニストでそれがこれほどの高みに到達している人は他にいないと断言していいと思う。ポリーニはいつ頃からか(80年代に入ってからといえるだろう)ひとつのアルバムごとに各々固有の音色で統一するようになったが、このアルバムでも例外ではない。自分の感じたところでは、形容矛盾だが、「やわらかい水晶」とでもいうような音色のように聴いた。やわらかいが、冷たく透明で美しい。ポリーニの技巧は衰えたといわれるが、それでも、ここまで音色のコントロールをしているピアニストはいま他にいないから、そんなのはあまり意味がない評言である。吉田秀和さんがいった「現代ピアニズム」というのは、ポリーニをもって途絶えることだろう。
 このアルバムはショパンの、それも op.55, op.56, op.57, op.58 をその順に弾くというもので、ポリーニらしい。ショパンが三十代半ばの頃の作曲に係る。おもしろく聴いたのは、最初の二つのノクターン op.55 と、三つのマズルカ op.56 で、ポリーニがとても知的であり、明晰でクールであるのはちっとも変っていないと思った。まさに完璧な譜読みで(ってわたしがわかるわけもないのだが)、まるで初めて聴く曲のように隅々まで光がゆき届いている。「明晰」という語が光に関係する言語がいくらかあるが、なるほどと思わされる感じがするくらいである。マズルカのような音楽をこのように弾くというのは、これはおもしろいもので、ポリーニも料理のし甲斐があるだろう。「子守歌」 op.57 は再録音だが、ポリーニのアプローチは基本的に変っていないと思った。
 アルバムのメインディッシュは最後のピアノ・ソナタ第三番 op.58 であり、ポリーニは40代の初めにこの曲を録音している。どうしても比較せざるを得ないが、複雑な気持ちだった。アプローチはここでも基本的に同じである。この演奏だけ聴けば、他に(音色のコントロールも含めて)ここまで弾ける、構築できるピアニストは、いま他にいない。しかし、かつての録音に比べれば、わずかに痩せている。技巧のことなどまったく念頭に浮かばなかったかつての録音は、思えば超絶的な高みと完璧さにあったのだとわかる。と、比較しなければ、すばらしいのだが。スケルツォは、少し聴くのがつらい気がした。逆にラルゴ(ゆっくりしたテンポということである)では技術を思うことはないので、たかが8分足らずでポリーニなら永遠を表現できるのだと思った。
 終曲プレスト・ノン・タントの旧録音は吉田秀和さんが「圧倒された」というクール極まりない名演であったが、ここでのポリーニは頑張っていた。頑張りというようなものを思わせたのは、このアルバムでここだけではないか。よく弾けていて、感動的といってもよい。ポリーニの音楽として、それでよいのか知らないが。