雲多し。
NML で音楽を聴く。■モーツァルトの弦楽四重奏曲第十五番 K.421、第十八番 K.464 で、演奏はカザルス四重奏団(NML)。2019年の録音、BGMとして聴く。カザルス四重奏団(1997-)はスペインの団体で、個人的に2019年春にベートーヴェンの録音をまとめて聴いているらしい。その他、「フーガの技法」やショスタコーヴィチも聴いたようだ。

■エルンスト・フォン・ドホナーニのピアノ五重奏曲第二番 op.26 で、演奏はシューベルト・アンサンブル(NML)。1995年の録音。エルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)はハンガリーの作曲家で、ピアニストとしても有名、ハンガリー名はドホナーニ・エルネー。同じハンガリー人のバルトークより、少し年上だが、ほぼ同世代か。わたしはドホナーニの音楽、聴いたことがあるのかな? 有名な指揮者クリストフ・フォン・ドホナーニ(1929-2025)はエルネーの孫らしい。

なんか頭がぼーっとしている。
家族三人で木蓮や枇杷の落ち葉を掃いたり等。敷地内に落ちているのはともかく、道路や側溝のはさすがにマズい。
枇杷の葉はよく燃えるんだってさ。ツイツイビーとシジュウカラが鳴いている。隣の川にはカルガモがいて、わたしが顔を出したらびっくりして飛んでいった。

金柑がうまい。仕事をしながらもいで食う。甘いのはもちろんだし、酸っぱいのも鮮烈な味で悪くないのだ。生り年だな。

メジロが御所柿を食べに来ていた。食欲のせいで、警戒心が薄いようだ。
昼。
■バッハのフランス組曲第四番 BWV815、第一番 BWV812、第二番 BWV813 で、チェンバロはマーティン・ガリング(NML)。マーティン・ガリング(1935-)はドイツのピアニスト、チェンバロ奏者で、(例のごとく)日本語表記はいろいろある。このアルバムはガリングによる Vox レーベルのバッハ鍵盤音楽全集の中の一枚。この全集は(AI によると)1960年代に制作されたらしい。確かにモノラル録音のようである、でも、音は悪くない。

●“普通の日本人”のあいまいな不安 第1回 「日本人ファースト」で開いたパンドラの箱 | 成蹊大学・伊藤昌亮さんに聞く(雨宮処凛) | イミダス
『少し前までヘイトデモに参加したり排外的な言説を振り撒いたりする人は、ある種「特殊な人」だった。
が、今、参政党を支持したり、移民政策反対デモに参加している多数は本当に「普通」としか言いようのない人だ。「善良な隣人」という言葉が浮かぶような子連れの夫婦や若い女性、お年寄り。そんな人たちが日の丸の小旗を振っている姿に、どう対峙すべきかわからなくて立ちすくんでしまう。』
ロウアーミドル問題、か。「貧困者」ではない、でも、生活が苦しい、という人たち。彼らが「裕福な外国人」を見て、そのモヤモヤ、あいまいな不安を「弱い外国人」たちを叩くことで解消しようとする。ロウアーミドルは自分たちが無視されていることを、「外国人が不当に優遇されている」というデマで、訴えようとしているのだ。
参政党の「日本ファースト」は、2025年6月に突如として、そういう道を切り開いてしまったのだ。ロウアーミドル問題はそれまで可視化されていなかった。
いや、生活保護バッシング(高市首相、片山さつき財務大臣などを思い出す)などは以前からあった、それと同じ心性である。「生活保護者は不当に優遇されている」というのは、構造的にまったく同じ。これは、「老人は不当に優遇されている」という日本維新の会などの主張とも、通底している。つまりは、(経済的な)パイの切り分け方を変えろ、というものである。
ロウアーミドルか、しかし、これほど時代が、経済が「進歩」しても、日本という「先進国」で、ただ生活していくことすら苦しいという人たちがこれだけたくさんいるというのは、ほんと、資本主義における進歩って、何だろう、誰を向いているのだろうと、思わざるを得ない。
あと、あまりいいたくはないが、社会・共同体から「異質なものを排除したい(それを叩きたい)」というのは、よくあることだ。皆んなでよってたかって「異質なもの」を叩く、これは楽しいし、快感だし、「正義感」や「共同体への帰属意識」や「自己承認欲求」も満たされて、高揚する。人間には、そういうイヤらしいところがある。

12.10 の散歩中に。
夕方、自室の掃除。クイックルワイパーで床をアルコール拭きもして、サッパリした。思っていた作業の七割くらいやったかな、そのうち続きをやる。
いま、窓を全開にして冷たいアクエリアスを飲んでいる笑。もう日没だ。
●【玄侑宗久が語る】目的や目標を持たない生き方(著者が語る) - YouTube
39分。自著『華厳という見方』『続・華厳という見方』について、玄侑さんが語っている。世界のすべては繋がっているという、たいせつなお話。
私流にいってみれば、「自分」というのはいわばネットワークにおけるノードである。自分がふるえれば周りもふるえる、だけでなく、周りがふるえれば、自分も必ずふるえてしまう。確固として変わらない自分、なんてのはじつはないのに、「鞏固な、変わらない自分」というのが、いまは推奨されてしまう。そこがちぐはぐだ。
すべてのノードはある意味平等であり、特権的な(他によってふるえない)ノードは存在しないのである。でも、「目的」や「目標」というのは、言葉によって、かかる特権的なノードを設定するに等しい。それはネットワーク、世界が硬直化することを意味する。それで、「生」というのが本来のあり方からズレてゆく。
しかし、この動画、観られていないよなあ。我々は頭がゴミでいっぱいになっているから、たいせつなお話が頭に入ってこないわけで。
ま、環境ビデオとしてでいいので、部屋にこれを流してみたりしても、いいと思うよ。
夜。
●「学芸会」と「台湾有事」、翻弄される与那国島の住民はーー | 斉加尚代 | イミダス
『不器用な先輩。』(2025)第12話(最終話)を観る。うん、全然話題になっていなかったけれど、低予算B級オフィスラブコメとして、なかなかよかった。鉄輪(かんなわ)先輩だけじゃなくって、亀川君もめっちゃ不器用で、最終話もこれ、しっかりと告白できてないよね笑。でも、最後ラブラブでよかったわ、先輩、男とつきあうの、初めてだろ、のわりに、勇気出したな。あー、よかった、この程度(?)のラブコメでいいんだよ、オレは。
やっぱり P.A.WORKS、好きやな。いつもながらセンスのいい作画はもちろん最高だし、一般にはちょっと退屈っていわれかねない話のゆるさはあるけれど、それも自分は決して嫌いじゃない。あざとくないんだよねー。
それにしても、この壮大なSF的設定を、ゆる目のラブストーリーにしてしまうという贅沢、これ、充分スピンオフ作品が作れるんじゃない? 期待してしまう。

