昧爽起床。晴、雲多し。
大往生したみかんの木から採った、実によるジュースも今朝が最後。おいしかった。
ブログ「本はねころんで」さんの昨日のエントリで、開高健の『珠玉』という短篇集が話題にしてあって、「ああ」と思った。開高の最後の小説集である。随分前に読んで、もうほとんど忘れてしまっているのだが、確か三つの宝石の物語だった。アクアマリン、トパーズ、あとは……いや、ちがったか。最後の短篇に、風呂場で女の放尿を全身に浴びる、というシーンがあったと思う、それはいまでも覚えている。
昨日 12.9 は、開高の祥月命日なのだそうである。わたしにはちょっと思い出があって、学生のとき、ある用事で京都から名古屋へ行って(確か、奈良線と関西本線を使った筈である)、ある場所で偶然に会った友人の O君の下宿にそのまま泊めてもらったのであるが、そこで夜テレビを観ていて、開高の死がニュースで流れたのだった。寒い日だった気がするが、いまとなっては定かでない。
それは確かにわたしの「青春の一コマ」で、書こうと思えばもっと書くことはあるが、やめておこう。
開高は、これもわたしの「青春」の、作家だった。わたしは小林秀雄を読んで世界が開けたというアナクロであるが、開高もわたしの世界を開いてくれた。わたしは文庫本の人なので、いまでもたくさんの開高の文庫本が、机近くの本棚にまとめて置かれてある、もう、読むことはないけれど。名古屋(十代の最後に、一年間独り暮らしした)の小さな本屋でたまたま『白いページ』というエッセイ集を開いたところ、むくむくと「活字が立ち上がって」きたのだった(これは、開高のよく使う表現だ)。それが開高との出会いだった。
わたしの中で開高健は、山下達郎、松田優作とで、なぜか三幅対になっている。それに、澁澤龍彦を含めてもよいかも知れない。いずれにせよ、もう遠い日の話だ。
あと、開高で「玉」というと、「玉、砕ける」(1978)という短篇が思い出される。これはわたしだけではないだろう、開高の短篇の代表作のひとつである。それで老舎という作家と、文化大革命におけるその死を知ったのだったが、それから何十年も経って、いまだに恥ずかしいことに、老舎を読んでいないわたしだ。
お茶の花、11.29 撮影。
●韓国の民主主義の強さ - 内田樹の研究室
『そんな無能で定見のないメディアが日本の民主主義が揺らいだ時に適切な報道をなしうるだろうか。私は無理だと思う。』
『はっきり言わせてもらうが、地上波テレビはもう「報道」を名乗る資格がない。中の人たちもその自覚を持った方がいい。』
極極たまに NHK のニュースを観ると、キャスターや解説、総じて番組づくりのレヴェルが恐ろしく低いことに、かねてから驚かされてきた。これでは我々に、政治のことなど、何もわからない、しかし、わたしごときのいうべきことでないが。同じ NHK でも、「キャッチ!世界のトップニュース」はまったくちがう。こちらは一見たんに外国のニュースを流しているだけの番組のようで、じつはそうでない。
昼。
いまの日本の政治の無定見。学者もジャーナリストも、そこがわかっているのか。
日本は明治以降、国家も国民も、おおむね「世界の一等国になる」という「理念」でずっとやってきた。それは、軍事的には昭和の敗戦で放棄されたが、経済においては継続し、バブル景気まででほぼ達成されたと見えたところ、その崩壊で、その理念も同時に崩壊した。それ以降、「失われた30年」といわれたが、政治のみならず、国民は何の理念もなくしてダラダラと流されている。
わたしは、それは文化的には、長所になり得ると思う。いま、若い人たちは、国家として二等国になり、縮小する経済の中で、国家的理念なしの「豊かさ」を、無意識に目指そうとしているようにも見える。それは、まだどの現代国家も成し遂げたことがなく、成功すれば、世界的なひとつの貢献になると思われるのだ。
しかし、政治は、それでいいんだろうか?というのが、疑問である。内田樹なんかは、「市民的成熟」といっていて、何となくわからないことはないが、いや、でも、それがじつは何なのか、わたしごときにはやっぱり正直、わからないのだ。まさかインターネットのおしゃべりが、「市民的成熟」ではあり得ないでしょう。「市民的成熟」とは、いまだ中身を持たないひとつの「空疎な記号」に過ぎないようにも見える。
虫喰いだらけの畑の白菜。外側の巻きがあまいところは捨てる。無農薬とは、こういうことである。
イオンモール各務原。3Fフードコートのミスドでは機械の故障でブレンドコーヒーが飲めないということで、2Fのコメダ珈琲店イオンモール各務原インター店にて読書。ミニシロノワール+たっぷりコメダブレンド1090円。シロノワールはパンがもっと熱くてもよかったな。
ジェラルド・ムーア『お耳ざわりですか』の続き。第二十三章「ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ」まで読む、ここで本書はひと区切り。あまりにも自分にしっくりくる本のため、感想が何にも思い浮かんでこない。ただただ楽しく読む。もっとも、音楽を聴く者として自分はニセモノだな、ってことがよくわかるのだが、専門的な音楽教育を受けず、それもほぼ録音だけで孤独に音楽を聴いてきたのだから、仕方がない。まあ、徒(いたずら)に卑下することはなく、プロの音楽家でもいきいきとした音楽とは何か、わからない者もめずらしくないのだからね。
本書はたんに一流の音楽家の回想録というだけでなく、古きよき読み物としても申し分ない。
イオンモール1F の UNIQLO にて、部屋着や下着、ベルトを買ってくる。ここは毎年商品が変わるので、これでよいのかわかりにくい。ちょっと自信がなく購入。
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夜。
夕飯でブロッコリの初物を食う。チーズをふりかけマヨネーズをかけて、オーブンで焼いたもの。茶碗蒸しの銀杏が、きちんとしたやつ(?)なのでうまかった。弾力ある独特の歯応え。ツナと畑の大根の煮物、うまみを大根が吸ってうまし。ツナは静岡の由比缶詰所のもの。
『精霊幻想記2』第10話。
U-NEXT で『グリザイアの迷宮』(2015)を観る。47分。ん、ミリタリーアクションでもあるグリザイア・シリーズ、独特でおもしろいな。風見雄二の過去が明らかになる、つまり1期の前日譚。かなりダークで際どいな。1期の女の子たちは最後にちょろっとだけ出演。さて、2期『グリザイアの楽園』もきっと観る。