カーソン・マッカラーズ『哀しいカフェのバラード』(村上春樹訳)

薄曇り。
 
「経済がよい」とは、どういうことか。従来の例えば(よく知らないが)消費者物価指数とか景気動向指数、失業率、有効求人倍率や株価、そんなもの(繰り返すが、よく知らない)で「景気」を判断して、仮に「景気がよい」とされて、さて、いったい誰の「景気がよい」のか。どうもわかってきたのは、こういう指数・指標で見えない人たちが、現在、無視できないほどたくさんいる、という事実である。
 例えば日本だと、仮に景気がよくても非正規雇用の人たち(雇用者の四割がこれである、もはやとても少数とはいえない)の生活は概してまったく楽でなく、景気が悪くなったらもう目も当てられないということだ。コツコツまじめに働いているのに、まともな暮らしができず、むくわれない。しかし、彼らにはスポットが当てられていなく、また「能力がないせいの、自業自得である」などと思われたりしている。つまり、固定した一種の階級社会になりつつある、ということかも知れない。(もっとも、こういう考え方は既に提出されており、独創的な認識であるなどとはいえない。)
 わたしは端的に、それはアンフェアだと思う。コツコツまじめに働いている人間は、誰でも「最低限の人間らしい暮らし」ができるべきである。「人並みの暮らし」といってもいい。
 

お茶の木の実。落ちているのを昨日撮影したもの。これから油が取れるそうであるが、特に食用にはならないようである。ウチには昔からお茶の木があって、無用であっても、この実というのには馴染みがある。だからどうということもないのであるが。
 この数日、航空自衛隊岐阜基地の戦闘機がひっきりなしに飛ぶ。もうすぐ航空祭だからだろうと、老母などはいうのであるが、どうなんだろうね。
 
昼飯は大根葉と厚揚げを炊いたもの、大根の味噌汁と納豆という、まったくの田舎飯。
 
 
内田樹選集 - 内田樹の研究室
内田樹膵臓癌なのか。この文章を読んで、深く来るものがあった。七十歳をすぎてさらに仕事が増えてしまったが、さすがに店じまいだ、と。わたしは内田樹、どれだけバカにされているのを見ても、やっぱり好きなのだなと思う。このブログ(「内田樹の研究室」)も、つい定期的にチェックしてしまう。いま、中沢さんという巨大な例外を除けば、取るに足らぬ思想家しかいなくなったが、内田樹は、確かに「世界という書物を直接読むことのできる」稀な思想家だと思っている。ほんとにもう、店じまいなの?
 
 
図書館。返却のみで何も借りず。
 イオンモール各務原無印良品で、スリッパなどを買う。セルフレジで、小さなセロハンテープをカゴの中に忘れてきてしまったのを、店員が気づいて、追いかけてきてくれた。よくわかったな。たぶん、セルフレジでまごついていたのが、印象に残っていたのだろう。
 帰りに餅信へ寄って、マロン大福Premium と栗どらを買う。帰宅して緑茶とともにマロン大福、めっちゃうまい。
 
図書館から借りてきた、カーソン・マッカラーズ『哀しいカフェのバラード』(邦訳2024)読了。承前村上春樹の訳に、山本容子の銅版画が収録されている。

 
夜。
吉本隆明全集28 1994-1997』を読む。