こともなし

晴。
 
従来のクラシック音楽でもなく、ポピュラー音楽でもない、いや、別にそのいずれであっていいわけだが、この時代のための音楽が書かれねばならないと思うわけだけれど、これがまったくといっていいほどない。わたしが知らないだけだろうか。管見の限り、クラシック音楽では、武満さんが亡くなったあと、そういう音楽が書ける作曲家はいないように思える。ポピュラー音楽では、まだ細野さんがいるな。わたしは学生の頃に同時代音楽として細野さんのアンビエント・ミュージックをよく聴いていたせいか、あれの延長線上にあるようなのが聴きたい気がする。
 クラシック音楽は、たぶんいまの音楽家じゃむずかしい、いわゆる「現代音楽」は袋小路に入ってしまっているとしか、思えない。ポピュラー音楽は概して、保守的すぎる。繰り返すけれど、わたしごときの知っている範囲で、ということで、しかもわたしは現在の音楽を、よく知らないわけで。どうも、ちょっと聴くだけでイヤになってしまって、探す気もあまり起きないんだよなあ……ダメだこりゃである。
 音楽もまさに他のあらゆるジャンルと同じで、もうずっとポスト・モダン的状況にあると思う。いま、その語が使われることはめったになくなったけれど。結局、人生が無意味化しているから、音楽も(その他もろもろも)行き詰まっているのだと思う。そして、その逆もいえるだろう。つまり、何もかも行き詰まっているから、人生が無意味になっている、と。いまや、あらゆるものが「消費」に過ぎないのだから、人生もまた「消費」に過ぎない。
 
しかし、お気楽にやらないとな。マジメに絶望の中にいると、結局あきらめてしまう。レヴィ=ストロースなどはきわめて悲観的な考えをもっていたが、決してあきらめることがなかった。どーせうまくいかないんだ、ダメなんだと思いつつ、あきらめないこと。
 

 
スーパー。高いけれど、福島県産の豊水(梨)を買う。お彼岸の供え物にしてから食べるつもり。
暑いな。今日も猛暑日の予想。
 
昼。
17, 18日にレバノン各地で多数の通信機器が爆発し、これまでに 37人が死亡、3000人以上がケガをしたというのは既に周知だろう。これは明白に(民間人を含む)不特定多数を狙ったテロ攻撃に他ならず、完全に国際法に違反している。このテロ行為を行ったのはまずまちがいなくイスラエルの特殊機関であるが、イスラエルはこれまで何らの言及もしていないし、おそらくはこののちすることもないだろう。
 国際社会はこれを放置していてよいのだろうか。状況からして、国家によるきわめて悪質なテロ行為であるのが明白であるにもかかわらず。かかるイスラエルを、テロ国家と呼ばずして、何がそうだというのだろうか。まったく、やりたい放題ではないか。「正義」というようなことをわたしはあまりいいたくないが、いったい、これのどこに君たちの大好きな「正義」があるというのか。
 ヒズボラは、敵は超えてはならない一線を超えたといい、報復を誓っている。心情的には、当然ともいえる反応だろう。自国内でのハマス指導者殺害に対するイランの「報復」がまだない(不気味である)ことも含め、これから中東がますます不安定化するのが予想される。
 そして、これはテロ攻撃としてこれまでにない、新しい、悪質なものであり、パンドラの箱を開けたかもしれないと、解説されていたのをわたしは読んだ。グテーレス国連事務総長は、「民生品を兵器にしないことをルールにすべきだ」と発言している。
ヒズボラ最高指導者「敵は越えてはならない一線をすべて越えた」 通信機器使った攻撃後に演説(BBC) - YouTube
 
 
【日本のアニメに熱狂!】米国アニメ市場の舞台裏 - YouTube
JETROYouTube チャンネルのマジメな動画。わたしは VTuber とかは全然わかんないな。日本のアニメが世界でウケているのは、じつに下らない幼稚なことに膨大な情熱を注ぎ込んでいるからだと思うのだが、確かにいまそれができるのは、日本しかないかも知れない。それが日本以外でもできるようになれば、もうちょっと世界は平和になると、わりとマジでわたしは思う。
 しかし、LA のメイドカフェにここまで人が来ているのを見ると、さすがに目が点になるな。ま、そのうち日本のガラパゴスオタク文化が、外国に中心を移したとしても、わたしは別に驚かない。既にソシャゲでは、韓国人スタッフによる「ブルーアーカイブ」の大ヒットの例もあるしな。
 いずれにせよ、もっと市場が大きくなれば、外国資本が日本アニメに入ってくるのは時間の問題だ。まだあまり成功していないが、既に Netflix やディズニーが日本アニメに参入してきている。中韓のアニメ制作ももっと本格化するだろうし、また人材も海外へ流出(?)するだろう。
 
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー473円。
 『決定版 世界の喜劇人』の続きを読む。第二部、250ページあたりまで読んだ。本書では様々な作品のギャグが詳細に分析されているが、さすがにその部分は途中から速読した。なにしろ量が多すぎるし、ギャグの分析を読んでもちっともおもしろくないので。たぶんわたしはこれからも、本書に出てくる大量の固有名詞と無関係であるだろう。このたくさんの古い喜劇映画をわたしがいま観ても、たぶん全然笑えないに相違ないと思われる。わたしのような幼稚な人間は、アニメのギャグで笑うのが精々のところだ。
 外気38℃、まだそんなだ。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、とてもでない。
 
夜。
FESTSPIELZEIT Live aus dem Großen Festspielhaus - Surround: Salzburger Festspiele | Radio | BR-KLASSIK | Bayerischer Rundfunk
マーラー交響曲第六番で、指揮はサイモン・ラトルバイエルン放送交響楽団。8.31、ザルツブルク音楽祭2024 におけるライブ録音の配信。
 聴き始めてすぐに、これは信頼して最後まで聴けることがわかる。解釈がどうとかより、とにかくきっちりとマーラーを聴かせてくれる、それがまず第一。ラトルは好きな指揮者かと問われたら、ちょっとわからないのだが、でも、現在「巨匠(マエストロ)」と(個人的に)呼びたい指揮者は、リッカルド・ムーティと、このサイモン・ラトルと、あと誰がいるだろう。わたしはマーラーの中でこの曲は大好きで、その魅力を堪能できてよかった。長くて苦手な終楽章も、ダレることなく聴くことができた。
 ちなみにラトルは第二楽章にアンダンテをもってくる派で(最近はこちらが主流という印象)、昔のに慣れてしまっている自分には違和感があってどうしようもない。まあでも、ここではラトルの意図を尊重した。