曇。
昼食にパスタを茹でて老父と食う。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ハニーディップ+ブレンドコーヒー462円。
『網野善彦 対談セレクション2』(文庫版2024)を読み始める。阿部謹也さんとの対談(1977)、川田順造さんとの対談(1983)を読む。阿部謹也さんとの対談は以前読んでいる筈だが、かつてそこから何を読み取っていたのだろうな。いや、何も読み取っていなかったのだろう、西洋の中世史と日本の中世史の対話、いま読んでも、めっちゃむずかしいというか、結局「無縁」とか、「アジール」という言葉に(いまさらながら)反応しているだけだと思う。
川田順造さんとの対談を読んでも思うが、「価値中立的な学問」などないというか、むしろ「価値中立的な学問」などつまらない、とわたしは思う。歴史もまた研究者の(現代的な)問題意識の投影であり、それだからこそ、学問の書を我々素人が読む意味がある。いまの、我々の、わたしの生が貧しいから、我々は貧しい学問しかもたないのだ。自分の空疎をつくづく感じる。
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濱口桂一郎『賃金とは何か』(2024)を読み始める。副題「職務給の蹉跌と所属給の呪縛」。第一部「賃金の決め方」読了、全体の半分くらい。社会科学の本は、世の中には優秀な人がたくさんいるんだからそういう人が読めばいいので、わたしは既に滅んだともいえる「人文学」に注力してきているのだが、本書のような、碩学による新書本とくれば、読まないわけにいかない。もっとも、いつもながら、濱口先生をわたしごときが読んでも、あまり意味がないのであるが。
詳しくは書かないが、第一部は濱口先生が明快に整理した「ジョブ型」と「メンバーシップ型」という雇用形態の延長線上にある話で、これまでの濱口先生の啓蒙書にもあった話が多い。わたしは「職務給と職能給」などというよりも、個人的に、「同一労働同一賃金」という正論的原則が、日本型雇用形態の中でどう扱われてきたか、という視点で読んだように思う。もともとわたしは、いわゆる「会社」ってところで働いたことがないので、「同一労働同一賃金」って当たり前じゃん、てな素朴な感覚でいたのだが、なかなかそれがどうして、そうはいかなかった、って話なんだよね。派遣であろうがパートであろうが女性であろうが、(男の)正社員と同じ仕事をすれば同じだけのお金がもらえるってのは、当たり前のことに感じていたわけであるが。
本書を読めば、そういうわたしの(正論的)感覚が、歴史的事実を見るといかにナイーブであったか、わかるわけだ。確かに、父親が働いてそれで一家を養う、なんていう考え方が常識なら、「生活給」、つまり家族を養っていくのに必要なだけの賃金を払う、という考え方(年功序列方式に繋がる)にも、ある程度の合理性を感じる。また、新入社員でもおっさんでも「同一労働同一賃金」っていうと、おっさんがいろいろ困るというのも、まあ感情的にわからないでもない。
第一部でむずかしかったのは、第六章「低成長期の賃金制度」である。これは1990年代以降、現在に至る話で、日本が経済的に低迷し、これまでの日本型雇用形態が疑問視され、さて、どうすべきか、という、現状に繋がる議論だ。ここは本書でかなり詳細に書かれており、現在進行形の議論なので、ややこしい。「ジョブ型」と「メンバーシップ型」ってのも、まだまだ日本で先がどうなるか、はっきりとは決まっていないよね。みんな本気で「同一労働同一賃金」、やろうとしているんだろうか。あるいは、そういう問いそのものがそもそもズレているのか。
付け加えておくと、本書では「給料が上がるというのはどういうことか」という視点が重要なようだ。それは、じつはそれほど自明なことでないのである。
夜。
『盾の勇者の成り上がり Season 3』(2023)第5話まで観る。