こともなし

日曜日。晴。

風呂のシャワーや蛇口の水栓が壊れていたのを、新しいものに交換してもらう。これで水が漏れなくなってよかった。


濱口先生の『ジョブ型雇用社会とは何か』を読み始める。まずは最初の100ページあまりを読み終えた。濱口先生のブログの愛読者を名乗る以上、「ジョブ型」と「メンバーシップ型」のちがいくらいは基本的にわかっていると思いたいところであるが、本書から汲み取るべきはここまでだけでもわたしには多い。そもそもわたしは「会社」というところで働いたことがないし(家族でやっていた小さな塾で、十五年間働いた)、また「社会」というものもよく知らない。まあ恥ずかしながら、アメリカでは解雇自由である(ヨーロッパはそうでない)ということも知らなかったくらいの知的程度である。本書をこれまで読んだところでもよくわかるのは、「ジョブ型」と「メンバーシップ型」のちがいというものが、それぞれの社会のあり方と深く結び付いているということだ。日本は大企業中心に「メンバーシップ型」の雇用形態であるがゆえに、大卒時にとりあえず多くの若者が就職可能であり(ゆえに若者の失業者が少なく、逆に歳をとってくると新たに就職しにくい)、仕事の評価が「やる気」に対してなされ(「ジョブ型」ではそもそも仕事ぶりを評価して査定、ということがない)、大学など高等教育で学んだ「スキル」が企業で生かされないという、社会になっている。我々にとって当たり前な、定年制や企業別労働組合年功序列定期昇給もそうだ。これらが日本独自と、大雑把にはいっていいのである。
 わたしは本書を、何となく「憂国の書」として読んでいる。濱口先生としては迷惑な読まれ方かも知れないが。わたしはそれほどの愛国者ではないのだけれど、それでも悪名高きバブル世代として、日本はどうしてこうなったのだろうという疑問は少なからずあるらしい。本書は、あちらこちら綻び(などというレヴェルを既に超えている)が出まくっている日本社会の矛盾点が、労働形態における矛盾としても噴出していることをわたしに教えてくれる。続けて読む。

なお、いまや日本の労働者の四割程度が非正規雇用であるらしいが、非正規雇用は「ジョブ型」に近い。このあたりの矛盾(?)は、本書の残りで説明されるのかな。昔わたしは濱口先生の別の本を読んで、「同一労働同一賃金」がわからなくなってしまったのだが、わたしの頭にあったのは非正規雇用正規雇用の間の矛盾だったのだな。「メンバーシップ型」だと「同一労働同一賃金」は無意味なので、そこがわかってなかったのだといまでは少しわかる。

曇。
岐阜の老舗肉屋にてステーキ肉とカレー肉を買う。
マックスバリュ


日没前、散歩。

どーんと暗い。Don't cry.








川を藻が覆い尽くしている。白いのは藻の花。

この橋を渡るのも最後かも知れない。まもなく取り壊される。





歩くと気が晴れる。