雨のち曇。
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第三番 BWV814、第二番 BWV813 で、チェンバロはアレッサンドロ・シモネット(NML)。
●Beethoven: Symphony No.7 /Karl Böhm Wph /Tokyo Live ベートーヴェン 交響曲第7番カール・ベーム / ウィーンフィル 東京ライブ | YouTube
東京における 1980.10.6 のライブ録音。重心が低く、退屈で、堅苦しく、立派だという、まさにこれこそ「権威」であり、また我々の欠いているものである。そもそも音だけからして、聴く者の襟を正し、粛然とさせるところがある。いまは、ウィーン・フィルからこんな音は出ない。ラストに強い感動を覚えて、ほとんど狼狽させられた。しかし、小澤征爾さんの嘆息じゃないが、ベームはただヨボヨボとして指揮棒をちょこちょこ動かしているだけなのに、何でこんな立派な音楽がオーケストラから出てくるのか。謎というしかない。
昼。晴れる。
県営プール。今週唯一の営業日のせいか、あるいは暑さのせいか、たくさん人が来ていた。でも、多くの人は屋外プールなので、室内プールは大丈夫。天井のガラス窓から降り注ぐ日光がまぶしい。
帰りに肉屋。
濱口桂一郎『賃金とは何か』(2024)読了。承前。第二部「賃金の上げ方」、第三部「賃金の支え方」を読んだ、知らない話がほとんどで、わたしにその細部はむずかしかった。ベア(ベースアップ)と「定期昇給」というやつの歴史的経緯、また最低賃金の話、いずれも興味深かったが、まあ、あとは脈絡もなく頭をよぎったことを、とりとめもなく少しだけ書き留めておきたい。
終章で、いわゆる「日本が安い」理由、日本の賃金が諸外国に比べ低くなっている理由が指摘されている。つまり、日本では「定期昇給」があるので一見して(個人の)給料が上がるように思えるが、ベースアップがない限り、時間的にスライドしているだけで、トータルでの給料(それは個人からすれば一生のであるし、また国家全体ではその総和)は、世代的に変わらない。それに対し、諸外国の給料は「実質的に」増加しているので、相対的に「日本が安くなる」というからくりだ。確かにそれは「けしからん」ことであり、日本も外国並みにならなければいけない、御尤もである。
しかし、ここがわたしの無知というか、バカな疑問で恥ずかしいのだが、なぜ、給料は「実質的に」上がらないといけないのか? なんで、外国では、団体交渉をして、ジョブにくっついた給料を上げるのだろう。そりゃ、給料が上がるとうれしいのはわかる。でも、日本人は、「定期昇給」というからくりに「騙されて」、実質的に上がらない賃金でそこそこやってきたではないか。外国人は、現状に「ガマンできない」のか?
ほんとにバカな疑問だとわかっているのだが、無知でよくわからないのである。結局は、資本主義は経済全体の(年2%程度とかいう)適度な成長なしではやっていけない、なんていう、経済学的な話なのだろうか。「デフレ、ぜったい、ダメ」みたいな。
まあいい、それは自分の能力を完全に超えている。あと、どうして最低賃金の話が本書に出てくるのだろう、と最初は唐突感があったのだが、たぶん、安全網(セーフティネット)にかかわる話だからだろうな。わたしも社会的経済的に下層に近いので、これは現実味があるし、それにひとつの社会を、底辺の人間がいかに人間らしく生きられるそれか、ということから見るというのは、本書からは外れてしまうが、わたしのよく意識するところである。わたしの敬意を抱くところの雨宮処凛さんから、いつも教えられる視点だ。雨宮さんは、コツコツまじめに働いている人間なら誰でも、そこそこ報われる社会が復権されるべきだ、とおっしゃっている。でなければ、働く希望がない、と。しかし、それは本書の守備範囲を超えてしまうことになるので、ここまでにしておこう。
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夜。
『盾の勇者の成り上がり Season 3』(2023)第12話(最終話)まで観る。3期はとりとめがなく、ちょっと散漫だったな。次へのインタリュードってところだが、この体たらくで、果たして4期があるのか。(追記。既に4期の制作が決定しているらしい。)
今回はアーリャちゃんのロシア語のデレ、一回だけだっけ(第3話)。政近君とアーリャちゃんのなれそめが判明。で、なんと、政近君が幼い時に出会っていたロシア語の女の子、じつはお姉さんの方なのか! え、姉妹で……これはどうなるのか。って俺マジでバカだね笑。
今回の ED曲は「想い出がいっぱい」(1983)か。僕らの世代にはなつかしすぎるなー。あれ、何のアニメだろって忘れていて、検索してみたら『みゆき』だった。あだち充かー、直撃世代ですよ。単行本、もっていたと思う。甘酸っぱいな、恥ずかしいわ。ほんと、80年代とか、恥ずかしくて死にそう。