こともなし

雨しょぼつく。
昨晩寝る前。かつて Qiita に書いたわたしのコメントに、(わたしだけでは済まない)嫌な当てこすりのコメントが書かれたので、礼儀正しく正面からぶん殴ってやる。相手のコメントは、最後っ屁を残して消去、最後っ屁にも蹴りを入れてやったら、それも朝起きたら消してあった。しかし、わたしは紳士なので、言葉の暴力をふるわさせられて、いまだにムカつく。未熟なり。まあ、これも慈悲ではあるんだが、なかなかね。

かかりつけ医。スーパー。


夕方、皮膚科。待合室で NHK国会中継を観るともなく観ていたのだが、なかなかおもしろかった(?)。政治ってのは、どこにあるのだろう。国会の論戦の場にあるのだろうか、それとも密室にあるのか、政治家の腹の中にあるのか、官僚の忖度にあるのか、学者の書いた論文や本にあるのか、ジャーナリストのペンにあるのか、ツイッターのタイムライン上にあるのか、それとも国民の手にあるのか。

連想する。わたしがいま日本といって強く感じるのは、編集者やジャーナリスト(ネットメディアのも含む)の劣化だ。それが、我々国民の劣化(があるとして)のあらわれとして、いちばん気になる。編集者やジャーナリストこそ、民衆のいちばんのサンプルだからだ。その認識が仮に妥当だとして、我々は、ほんとどうしたらよいのだろう。自分には全然わからない。ただ、誰にも頼まれず、自分の勝手な課題をできるだけ追求する他ない。だらだらとだけれどね。

誰かがネットでいっていた。若い人が絶対的に、100%正しい、と。わたしもそうだとは思う。それは正しい。けれども、わたしが若い頃、わたしたちは絶対的に、100%正しかったのかと考えると、全然そう思えないのも事実なのだ。わたしたちは、その頃何も学ばなかったし、何も考えなかった。だらしなく日々を享楽するだけだった。

しかし、とにかく若い人たちに全部任せてしまうことだ。先行世代は責任だけ取ればいい。いまやそれしかない。それができないのが、システムの硬直と先行世代の傲慢だ。

日本にも、30代の政治家を、女性の政治家を。


いま、雨が強く降っている。

夜。
濱口先生の『働く女子の運命』(2015)を再読し始める。第二章まで読む。うーん、こんなことが書いてあったのか。初読時よりは読めているつもりだが、これは相当にむずかしい本だね。わたしは労働史など全然勉強してこなかったので、理解するのが大変。ただ、濱口先生の本だから当たり前だが、きちんとよめば本書だけでおおよそ理解できるようである。特に第二章は、女性だけの話ではなく、日本に特殊な労働慣行がどのように成立し、またどのように理論的に擁護されてきたかという、一般論に記述を割いている。いわゆる「職務給」と「職能給」(後者は「生活給」の語と関係あり)のちがいがキモで、これは最近普及してきた濱口先生による「ジョブ型」と「メンバーシップ型」のちがいと密接に関係している。かつては政府や日経連が「職務給」の普及を目指す一方、労働組合が「職能給」「生活給」を支持したというのが趣き深い(日経連はそのうち「転向」する)。
 ところで、本書は新書本なのだが、索引が付いていないのがキツい。索引があるべきレヴェルの本だと思う。

マジメな人ほどデマを信じてしまうという現象に名前はついているのか。今日或るマジメな人のブログを見て「え? マジ?」と思い、調べてみたら、あろうことか国立遺伝学研究所の教授たる人が「放射能デマ屋」だということがわかって仰天した。で、「データを重視し、科学的リテラシーが必要」とかのたまっている人なのである。これは騙されるよね。
 これは敢て人名を出すけれど、政治家の山本太郎も「放射能デマ屋」なんだよね。僕は山本太郎はきわめてマジメな人だと思っているし、重度身体障害者を二名も国会へ送り込んだのはすばらしいと思うし、残念なんだけれど、事実はそう。山本太郎は福島の人たちのことを慮っているようで、じつにその正反対のことをやっているという。こういうのは、どうしようもないのかな。
 結局、「データが大事」とか口で言っていてもダメで、そのデータがどこから来ているのかを明確にいえない人は信用できないということだ。しかし、ネットリテラシー、むずかしすぎるぜ。試行錯誤してやっていくしかない。

いや、データ云々の話じゃない。某国立遺伝学研究所の教授さんは、明らかに癌の「過剰発生」と「過剰発見」(過剰診断)の区別ができていないな。この段階で信用できないわけだ。つまり、スクリーニングで癌が「過剰発見」されているというのと、放射線被曝のせいで癌が「過剰発生」していることの区別がついていない。まさかそのレヴェルでと思ったが。根本的な理解力の問題だ。
 最新のツイートを見ても、それをいまだに理解できていないか、あるいは理解していて意図的に曖昧に書いている。もちろん某教授さんのいうように、福島で小児甲状腺癌がたくさん発見されているのは紛れもない事実だ。まさにそこのところなのである、「放射能デマ」に関わる問題は。某教授のツイートにぶら下がっている多数のツイートも、そこをまったく理解していない。
 しかし、やっぱり、ネットリテラシーむずかしすぎないか? この問題でも根拠は統計だから、確率的にはかなり低いが、わたしの立場がまちがっていることが絶対にないとはいえない。その意味で、わたしと同じ立場でも自分を絶対視し、罵倒語を放っている人にはわたしは同調できない。しかし、科学的とは何かって話だよね。

某教授のツイートにぶら下がっているのに、「やはり福島は、『行けない』『住めない』『買えない』ブラックエリアなんですね」というのがあった。これはひどい。また別の、「300人近い甲状腺がんの若者の存在に向き合おうとせず、『風評加害』などと盛り上がっている人々が多いことに、寒気がします」というのが、問題としっかり向き合った、心ある態度だと自分で思い込んでいるのも明らかだろう。どちらも、善意で悪気がないのは明白なのだが。

放射線被曝によらなくても癌は発生する。我々の半数が癌で死ぬくらいだし。しかしながら、福島で発病した癌はきっと放射線被曝によるものだとアプリオリに信じたい人たちがたくさん居るのだな(残念ながら、左派的な信条の持ち主に多いようだ)。気持ちはわからなくもないが。しかし、それはきちんとした科学で調べるべきことである。でないと、却って福島の人々を差別することになる、ということがあの人たちにはわからないのだ。実際に、そういう差別で婚約を解消させられた福島の人がいたりするのに。