濱口桂一郎『家政婦の歴史』

晴。
 
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ協奏曲第十六番 K.451 で、ピアノはルドルフ・ゼルキン、指揮はクラウディオ・アバド、ヨーロッパ室内管弦楽団NML)。

モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第十九番 K.302、第二十番 K.303、第二十一番 K.304 で、ヴァイオリンはルノー・カピュソン、キット・アームストロング(NMLCD)。いわゆる「ヴァイオリン・ソナタ」のヴァイオリンとピアノのバランスは、ベートーヴェンだともうピアノが強すぎて、モーツァルトで黄金の中庸、みたいなことを吉田秀和さんは仰っていたと思うけれど、このコンビだとどうかな、モーツァルトでもピアノの方が強く感じられないでもない。キット・アームストロングのピアノは悪くないんだけれど、もう少し弱く、ニュアンス豊かに弾ければ、その方がよかったかも知れない。カピュソンは申し分ないように思える。■フランクのピアノ五重奏曲で、演奏はアンサンブル・デ・ゼキリブル(NML)。

 
芸術、に限らずあらゆる精神活動において、すぐれた「作品」が生まれてくる「原基」のような intimate な領域が心の中にあるのだが、それは結構かんたんに失われてしまうのだな。「消費」されて涸渇してしまう、という言い方がされることがあるが、まさにそのことを指している。
 
 
ユリと芙蓉が咲いた。季節は確実に移っていく。
肉屋とかかりつけ医とスーパーで一時間半もかかってしまった。スーパーではお供えものを買う。いろいろ買ったら、気づかないうちにプリペイドカードの残高が10円になっていて驚いた。よくもそんなにぴったりいったものだな。
 
昼。
ついに外気40℃(信じられん)の中、県図書館へ。途中、ローソンで冷えた麦茶を買っていく。借りたのはレヴィ=ストロースの随筆集、『コレクション瀧口修造10』、『吉本隆明全集27』など。あと、ゆたさんに教えてもらったピアノ調律師の本は貸出中だった。
 
ミスタードーナツ市橋ショップ。エンゼルクリーム+アイスコーヒー440円。さすがのわたしも今日は暑すぎて(ホット)ブレンドコーヒーを注文できなかった。
いま借りたところの吉川浩満『哲学の門前』を少しだけ読む。哲学っぽいエッセイとしてなかなかおもしろいし、何より文章がうまい。いかにも優秀で今風って感じ。
 
 
濱口桂一郎『家政婦の歴史』読了。承前。第六章から最後まで読んだが、なるほど、すべて読んでしまうと確かに著者のおっしゃるとおり、ミステリの感すらあって、おもしろかった。それにしても、かなり入り組んでいて手剛く、また悲しいようなミステリであった。ただし、プロット(?)の手剛いところは、きちんと終章でまとめられているので、わたしにも何とかわかったと思う。「家政婦」という存在は、労働法的に制度と運用のねじれの作り出したエアポケットに落ち込んでいて、それに気づいた者は、長いこと誰もいなかったということである。
 以上がメインのお話ということになろうが、それ以外にも個人的に蒙が啓かれたところがあった。本書で家政婦と対置される、「女中」である。女中は住み込みで家事を担うわけだが、彼女らはかつて戸籍上、なんと働くところの「世帯」に属する存在だったのだ! これには驚いた。だから、10代が主な若い女性がきわめて厳しい労働条件の下で働かされていたのが実態なのに、法的には家族・親族のような扱いで、当然のように労働基準法などは適用されなかった。まさに、封建的な遺制である。ちょっとわたしは思ったが、(本書からは逸れるけれど)家庭における「妻」も、かつては女中と同じ扱いを受けていたということなのだろうな。労働しているにもかかわらず、それを認められていなかったという意味で。女性と労働。読後の「悲しさ」に、それもあると思う。*1
 

 
夜。
『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』(2020)第12話(最終話)まで観る。VRMMO を舞台にした、アホらしくてとっても楽しい作品だった。ネガティブなところ、全然なし、悪い人はまったく出てこない(それでいいのかという気もするが、まあそんなことはどうでもいい)。主人公は女の子だけれども、俺TUEEE。2期もあるから脳が疲れたときに観よう。