こともなし

晴。
河合先生ではないが、思い上がっていると必ずこちらを打ちのめすようなことが起こるな。見事なほどそうだ。しかし、河合先生が思い上がることがあったというのは、まったく信じられぬというか、いや、怖い話だ。いつも、太陽にように満面の笑みを浮かべておられたのが写真から見たこちらの印象であるが。

昼食はモスバーガーのドライブスルーで。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトクラリネット五重奏曲 K.581 で、バセット・クラリネットはエリック・ヘプリック、他(NMLCD)。■ブラームスの二つのラプソディ op.79 で、ピアノはパスカル・ロジェNMLCD)。

モーツァルトのピアノ協奏曲第二十七番 K.595 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウス、指揮はカール・ベームウィーン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。この演奏はたぶん CD で聴いている筈だが(エーカゲンなものである)、終楽章でバックハウスがこれほど装飾音を付けて弾いているとは知らなかった。ちょっと意外である。バックハウス晩年の録音であるから、まあそっけないとでもいいたくなる演奏ぶりであるが、これこそがクラシック音楽であるという意見があればそれは正しいであろう。バックハウスの音の美しさとでもいうべきは、とっくに吉田秀和さんが指摘していてさすがである。こういう演奏を大事にしてきたのは、クラシック音楽好きのよいところであるにちがいない。さて、このようなものは若い人たちに通用するのであるか。やはり、美は不変なのか、そうでないのか。多少気になるところではある。

KLAVIERKONZERTE

KLAVIERKONZERTE

ルーセルのヴァイオリン・ソナタ第一番 op.11 で、ヴァイオリンはエヴァ・バルト、ピアノはハインリヒ・バウムガルトナー(NML)。うん、思っていた以上におもしろかったぞ。30分もある、室内楽にしては長い曲であり、力作。最初はフォーレっぽいかとも感じたが、まあそういうわけでもないか。やはりフランスの作曲家らしい曲である。■ブラームスのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノは園田高弘、指揮は大山平一郎、九州交響楽団NML)。この曲はもとよりわたしの偏愛するところであり、オーケストラによる序奏からしてマズいなと思っていたのだが、園田のピアノが入ってきたところでわっと泣けてきたのはさすがにセンチメンタルというか、我ながら常軌を逸していると思う。まあしかたがない。何か、日本人の無意識とでもいうような、面倒なものに関係しているのだろうと推測はする。しかし、聴き手によってはクソマジメな、退屈な演奏という人もいるかも知れない、そんなものかも知れないのだが、いずれにせよそういうことは自分にはよくわからない。多少冷静に書くなら、ピアノ、オケ共に低音のよく響いている、迫力ある第一楽章が特にすばらしいと思う。ピアノもオケも本当に、どこへ出しても恥ずかしくない、しかも日本的であるといいたい名演だ。「日本的」というのは、楷書を崩さず、しかも深いセンチメントに届いた、まあある意味クソマジメな演奏を仮にそう呼んだだけで、他意はない。それにしても、何で園田のピアノはわたしにこうも感銘を与えるのか。ちょっと我ながら謎である。