たかとう匡子『私の女性詩人ノート II』

晴。


バッハのブランデンブルク協奏曲第一番 BWV1046 で、指揮はクラウディオ・アバド。好ましい演奏。


ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番 op.30 で、ピアノはイェフィム・ブロンフマン、指揮はヴァレリーゲルギエフ。メジャーすぎて自分には合わない。ひたすら眠かった。


庭のオオイヌフグリ。毎年載せるのだけれど。

 

日に日に暖かくなる。

昼から、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。紅茶のマンナンスティック プレーン+ポン・デ・リングブレンドコーヒー518円。たかとう匡子の『私の女性詩人ノート II』を読む。著者のことはまったく知らないし、取り上げられている詩人たちも読んだことのない人がほとんどだが、読み始めてみてとても惹かれた。おもしろい。著者も詩人であり、しかしというべきかやはりというべきか、地に足の付いた、的確な批評眼を感じる。時代背景も正確に捉えられており、ここまで書くのは簡単ではあるまい。1939年生まれ、神戸在住とあり、地方にもこうした方がおられるのだな。いや、おもしろくてフードコートで一時間以上も座っていました。グールドはラジオを大音量で流しながら暗譜したそうだが、喧騒の中でもしんとして読めるのは不思議である。しかし那加の町には誰も歩いていないが、ここではまたいかにたくさんの人たちがそれぞれの時間を過ごしていることか。


図書館から借りてきた、たかとう匡子『私の女性詩人ノート II』読了。上にも少し書いたので繰り返さないが、とてもおもしろかった。図書館の新刊コーナーにあったので何となく借りてきたものである。詩人たちは年代順に並んでおり、最初の方のよく知らない詩人たちが個人的には特におもしろかったが、また80年代以降の詩人たちについても刺激的だった。著者は自身より若い詩人の作品に対しても的確である。僕個人としては、井坂洋子伊藤比呂美が対比される感じで、思うところがあった。共に露骨な性的用語を詩に導入した女性詩人であるが、タイプはだいぶちがうようである。伊藤比呂美は自分はこれまでそこそこ読んできて大好きな詩人だが、彼女の一見アダルトビデオを思わせるくらい露骨な詩は、しかし自分にはあまりエロティックではない。ここにいるのはメス臭い匂いをぷんぷんさせた女であり、ほとんど野蛮人である。むしろ野獣か。ちょっと気取って「唯物論的な詩」といってもいいだろう。それに対し井坂洋子の方は、これこそセーラー服を着た少女たちが男の想像力の対象になる、アダルトビデオ的な猥雑なエロに他ならない。80年代のエロビデオ、それが井坂洋子なのではないか。
 それが、さらに小池昌代になると、既に自分には言葉のひっかかりがない。言葉がつるつるすべって、何も表象しないようにすら感じられる。本書で取り上げた詩人たちを著者はすべて評価しているように思われるが、自分にはここには希薄なガスのようなものしか感知できないようである。
 いずれにせよ、大変におもしろうございました。未読の詩人たちを少しづつ読んでいってみたいと思う。また、本書の前作も是非読みたいのだが、図書館にあるかねえ。

私の女性詩人ノートII

私の女性詩人ノートII