大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:イギリス組曲第一番(ルセ、参照)。ルセのチェンバロはちっとも鈍重ではなく、生命感に満ち溢れている。そして美しい。このようにチェンバロを弾くことができるとは。お薦めだ。■ヒンデミット:室内音楽第四番(アバド参照)。アバドはもっと現代曲をやってくれるとよかったのに。安心感がある。

大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』読了。世には色々な大江論があるだろうが(自分はまったく読んでいないけれど)、自分には大江さんは不思議な小説家だ。文学音痴が云うのだから読み飛ばして欲しいが、自分には大江さんはめちゃめちゃ面白いのだけれど、何が面白いのか、言うことはとてもむずかしい。前にも書いたように、自分の無意識を面白がらせるとしか、云いようのないところがある。本書を読んでそれに敢て付け加えれば、それは「現代における想像力」の問題なのだと思う。imagination は image が元になっている語だし、「想像力」には「像」という字が入っているところで、そして今は「イメージ」というのは評判が悪い。「イメージ批判」というのは今では「知」(という言い方は時代遅れか)の最も初歩的な課題だし、その意義もわかるけれど、それでも「想像力」は重要であると言いたい。それはむしろ、「イメージ」とはあまり関係がなく、知性に関係するものである。大江健三郎の小説に紋切り型のイメージがないとは云えないかもしれないけれど、それでも氏の想像力は非凡だと確信する。そうでなくて、現代にウィリアム・ブレイクを対峙させることができるだろうか。本書は、障害を抱えた氏の長男「イーヨー」さんに関する連作短篇集であり、家族の物語でもあって、氏の家族は困難に打ち当たることはたくさんあるが、決して特別な家族ではなく、敢て云えば我々と同じで、それゆえに感動的だ。本書ではブレイクの言葉が(時には原語を交えて)重要な役割りを果たしているが、ブレイクは決して我々凡人に関係のない詩人ではないことを、本書は教えてくれるようである。
 なお、どうでもいいことだが、鶴見俊輔氏の文庫解説は、文章を書くことを生業とされている方のものとしてどうなのだろうかと思った。氏は大変に頭のいい方だとは思うけれど、プロとしてこの程度の文章で許されるのであろうか。まあ、自分などがいうのも何であるが。

新しい人よ眼ざめよ (講談社文庫)

新しい人よ眼ざめよ (講談社文庫)