朝永振一郎編『物理の歴史』/石川幹人『人間とはどういう生物か』

晴。夜寒い。

朝永振一郎編(実質的には高林武彦と中村誠太郎の共著)『物理の歴史』読了。コンパクトな物理史であるが、ある程度の物理の知識がないと、つらいかもしれない。とりわけ量子力学の建設を述べたところは面倒だ。ハイゼンベルク行列力学の誕生の記述などは、貴重である。これを読むと、その厄介さが偲ばれる。またさすがに、日本人の量子力学の建設における貢献は、詳しく描かれている。
 それから、熱・統計力学流体力学は、まったく無視されている。物理学の本流ではないということだろうか。それとも、分量の関係かもしれない。

物理の歴史 (ちくま学芸文庫)

物理の歴史 (ちくま学芸文庫)

石川幹人『人間とはどういう生物か』読了。自動翻訳機を造るのがむずかしいということから、「コンピュータには『意味』が理解できない」という話になる。確かにそうなのだが、本書には「意味」という言葉が頻出するのだけれども、自分には、「意味」という語がいったい何を指しているのか、いわば「意味」の「意味」がよくわからないのである。本書でも、シニフィエだとか、文脈に依存する(とは著者は言っていないが)ものだとか、イメージのことだとか、ゲシュタルトだとか、様々な「意味」で使われている。自分には「意味」とは、何らかのネットワークに関係しているものだとは思われるが、上に述べたとおり、よくわからない。
 それはまだいいのだが、途中から、進化や、それに伴う「意味作用の高度化」「意識の先鋭化」(というのも自分にはよくわからないのだが)を論ずるのに、量子力学をもち出してくるというのは、どうなのだろう。著者は「量子過程を意味作用にまで拡張」する(p.201)ということで、「物体の挙動の可能性が重ね合わせになる」とおっしゃっているが、どうもよくわからない。「挙動の可能性」というのは、波動関数のことなのだろうか。著者によれば「量子進化の過程」は、遺伝子レヴェルでみると、「量子コンピュータと同様に考えることが」でき、ヌクレオチドが「重ね合わせ状態になる」(p.185)そうだが、大胆な発想である。自分はちょっとついていけないというのが、正直なところである。

人間とはどういう生物か―心・脳・意識のふしぎを解く (ちくま新書)

人間とはどういう生物か―心・脳・意識のふしぎを解く (ちくま新書)

引き続き『代数的構造』を読んでいる。まだ第三章を読み切っていません。可換群のところで、二通りの位数(群の要素の数と、要素の累乗が単位元になるときの指数)の群に働くイメージが、はっきりとは出来ていない。剰余類の働きって、おもしろいですね。
 可換群というのは、最終的に巡回群の直積に分解されてしまうのだな。

それから、『ガンマ関数入門』の上野先生の前書きを読んでいたら、「昨今、実数論もエプシロン・デルタ論法もほとんどの大学で大学初年級の微積分学の講義から姿を消している」とあって驚いた。それはいくらなんでもマズいでしょう…

社会福祉法人 東京ムツミ会」という団体からトラックバックがありました。精神障害者を支援する団体のようで、HPを見るといかがわしいようなそれではなさそうですが、こちらのブログの内容とまったく関係のない、いきなりのトラックバックで、怪しげな業者の宣伝とやっていることは同じです。障害者の造っている七宝焼を買えという内容なので、ますます疑われそうです。障害者支援ということはこちらとしても応援したいことでありますから、トラックバックを削除し、代わりにHPへのリンクを貼っておきます。これからは、宣伝方法をよく考えた方がいいのではないでしょうか。
http://www.mutumi.or.jp/