お盆

曇。
NMLで音楽を聴く。■バッハの「フーガの技法」 BWV1080 (抜粋)で、オルガンはロバート・コスティン(NML)。2025年の録音。ロバート・コスティン(1971-)はイギリスのオルガン奏者、チェンバロ奏者、音楽教育者だそう。
 「汝の御座の前に、われ進み出で」 BWV668、「音楽の捧げもの」 BWV1079〜六声のリチェルカーレ も聴く。
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■マーラーの交響曲第八番で、指揮はマリス・ヤンソンス、バイエルン放送交響楽団、他(NMLCD)。2011年の録音。
 「フーガの技法」を聴いてさらにこれというのは、さすがに無茶だったな。しんどかったー。
 

(自家産)枝豆、8.6 に撮ったもの。
 
昼。
(備忘録。本日「日本国旗損壊罪法」が施行された。「人に著しく不快、嫌悪の情を催させる方法」で公然と国旗を損壊、除去、汚損した場合、2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金を科すというものである(ちなみに、非親告罪である)。その目的は、国家による「国民の思想の管理」の一環で、国民に「愛国心を強制する」ものであると認められる。正直いって、常軌を逸していると思う、皆んな、どうかしているのだ。
 わたしは「国民のために国家がある」のであり、その逆ではない、というのが当たり前だと思っていたのだが、どうやらそう思わない人がいまや多数派のようだ。)
 
AI君に訊いてみる:
問い。『国家による「愛国心の強制」は許されるか、また、そのように強制された「愛国心」は、その名に値するか。』
AI君。『国家による愛国心の強制は、個人の内面や思想・良心の自由を侵すものとして憲法上の観点から強く否定されるのが一般的であり、強制された愛国心は自発的な情愛や忠誠心の本質を欠くため、真の愛国心の名に値しないと考えられています。
 
○国家による愛国心強制の是非
 ・思想・良心の自由への抵触: 憲法上、国家は個人の内心に立ち入って特定の思想や価値観を強制してはならないとされています。愛国心を強制することは、この基本的人権を侵害する行為とみなされます。
 ・民主主義と国家の役割: 民主主義国家において、国家に対する忠誠や国旗・国歌への敬意は自発的なものであるべきであり、法律や権力によって画一的に植え付けるべきではないと議論されます。
 
○強制された「愛国心」の本質
 ・自発性の欠如: 本来の愛国心は、国土や文化、共同体に対する自然な愛着や誇りから自発的に芽生えるものです。
 ・形骸化と従属: 権力による強制や同調圧力によって生じた愛国心は、真の愛情ではなく、権力への恐れや同調、あるいは表面的な服従にすぎないと評価されます。そのため、自発的な精神的価値としての「愛国心」の名には値しないと言えます。』
 
問い。『「愛国心の強制」に反対した場合、「じゃあそういうやつはこの国から出てけばいい」というような言説が浴びせられることがある。このロジックは正当化できるか?』
AI君。『「嫌なら出て行け」という言説は、民主主義社会における基本的人権、表現・批判の自由、および国民主権の原理に反するため、論理的にも法制・政治的にも正当化することはできません。このロジックは、異論を排除して同調圧力を生むための感情的な排斥論にすぎないとみなされます。
 
○このロジックが正当化できない理由
 ・基本的人権と批判の権利: 民主主義国家において、政府や国家の方針、あるいは社会的な風潮に対して異議を唱えること(政治的表現の自由)は、憲法で保障された正当な権利です。これを理由に国外退去を迫ることは、言論封殺にあたります。
 ・国民主権と国家の所有化: 国家は特定の思想を持つ人々や権力者の私物ではなく、そこに暮らす国民全員のもの(国民主権)です。一部の多数派や特定の価値観を持つ人々が、自分たちと異なる意見を持つ人を「出て行け」と排除する資格はありません。
 ・論理のすり替え(非論理的排斥): 政策や国家のあり方に対する建設的な議論や異論の提示に対し、具体的な根拠を示して反論するのではなく、存在そのものを否定する「個人攻撃(フール・ラ・ペルソナ)」や論点逸脱の一種です。
 
○排斥的ロジックの本質
 ・同調圧力の強化: 社会の均質性を保つために、異端や批判を許さない空気を醸成し、実質的な言論の自由を萎縮させる効果を持ちます。
 ・権利の否定: 市民が自らの国をより良くするために声を上げる権利を無視し、「無条件で国に従うか、去るか」という二者択一を迫るものであり、民主主義の対話の基盤を破壊する議論と言えます。』
 
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『わたしは「国民のために国家がある」のであり、その逆ではない、というのが当たり前だと思っていたのだが、どうやらそう思わない人がいまや多数派のようだ。』
というところから、AI君と対話してみる。(多くの人にとって)かなり重要なことを論じているように思える。
 

8.5 岐阜メモリアルセンターにて。
 
夕方、老父母とお墓参り。仏花をわたしがもち、蝋燭、線香、提灯、数珠を老母が紙袋に入れてもって歩く。
 老父が薬缶に汲んだ水を花立てに入れ、そこにわたしが仏花を生ける。残った水は、墓石の天辺から注いでやる。
 本来は蝋燭と線香に火を点け、蝋燭は提灯に入れたりもするのだが、ここは毎年風が強く、なかなか火が点かないし、点いてもすぐに消えてしまうので、今年は点けるのを止めた。
 数珠を手に合掌して瞑目、南無阿弥陀仏を心中で繰り返す。かつては伯母夫妻も一緒で、また妹一家(甥っ子たちは小さかった)が参加することもあったが、いまは我々三人だけになった。
 村の祠にも手を合わせる。共同の、仏花と提灯を供える。
 鎮守の森から鷺の声がする。東の空がひどく暗い。
 

 
夜。
湯船に浸(つ)かっていて、今日外から聞こえてくるのは鈴のような美しい虫の声だ。だから、鈴虫なんだろうな。抽象的なことを考えていても、つい聞き惚れてしまう。
 
『無職転生III ~異世界行ったら本気だす~』第7話を観る。この作品はここからが本番だという話もあるが……今回でのんびりとした展開もしばらくおしまいなのかな。
『虚構推理』第8話まで観る。おもしろい。主人公の琴子が一眼一脚(義眼義足)の饒舌な美少女(?)、というところからしてオリジナリティがある。魅力的なキャラだな。